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羅門しか知らない霊の恐怖
連載第十二話

「霊の恐怖」ということで、今日もまたお話を申し上げます。
何回も何回も書いていることですが、私はこの怖い話ということに関しては、やはり霊の世界ですから、こだわりをしっかり持っております。皆さんはどういう話を怖いとおっしゃるのでしょうか。それは個人差がありますから、一概に決めることはできませんが、一般的に「怖い」という表現は、「生きている人間にとって」怖いということでしょう。
「霊の世界」と申しましょうか、「魂の世界」と申しましょうか、その世界には、二面性があるのです。これは例えば、右左とか、上下とか、裏表とかいう言葉がございますね。同じように魂の世界にも、裏も表も右も左もあるわけです。それはどういうことかと言いますと、生きている人間は肉体を持っております。一方で魂の世界には、肉体のようなものは現そうとすれば現してきますが、そうでない時は今のこの世界に生きている人間にとっては、やはり、なかなかわかるものではないのです。

先日もテレビの放送で、お笑いの人や芸能人が集まって、怖い話をしておりました。でも、どうもその話が作り話にしか見えません。それはテレビですから、脚本もあるのでしょう。それは仕方がないかなとは思いますが、脚本というのは真実ではないですから、恐怖という感覚はまったく私には通じてきません。よくできた話だなとは思います。
でも、本当の怖い話というのは、先般からずっと書いておりますように、他愛もない簡単なことも入っているのです。でもそれは、私の考えから申し上げますと、ドラマチックだとか、単純だとか、そういう表現で終わるような話ではないわけです。とにかく、怖いというのは人間の心の問題ですから、怖いと思えば怖いし、そんなのは平気だと思う方は、それはご自由に、何でもないよとおっしゃればいいのです。
夏の時期はこういう怖い話が似合っているとか言われますが、皆さんにとっては「怖い話」でも、私にとっては「注意する話」ということになります。これは夏だとか秋だとか冬だとか、そういう問題ではないのです。例えば冬は冬なりに「ちょっとおっかないね」なんていう話がありますけれども、それはまた後々お話しをしていきたいと思っております。


今日はどうしても話しておかなければならないことがあります。それは、古い家の土蔵のことです。
都会や、賑やかなところに住んでいる人にとっては、あまり縁がないかもしれませんが、土蔵というのは昔からありました。土蔵といえば、よくナントカ鑑定団なんていうテレビ番組の中で、土蔵を整理していたら出てきたなんていう物が登場して、それはどんな価値があるんだとかいう話をしています。しかし私は、その古い物自体に価値があったとしても、どうも土蔵をゴソゴソ探して何か品物を持ってくるということが、本当の意味で怖いのです。これは嫌なのです。それは人間の魂が、古い骨董品にはよくついているからです。
テレビの中でも時々話があります。その掛け軸や鉢とか瀬戸物などを説明するときに
「お爺ちゃんがとても大切にしていたもので、もう50〜60年前に1回見せてもらったことがあるけれども、最近になってちょっと思い出して、それを持って参りました」
とか、そういう話がよくあります。あれは嫌ですね。なぜかと言うと、人の思いというものは、霊によって表現される場合があるからです。一種の思い出話とか、未練とか、嫉妬心なんていうのも、霊には非常に強いものがあるのです。それはよくご注意していただきたいのです。
土蔵というものはあまり引っかき回すものではないですし、そっとしておくなら、そっとしておく。もし片付けるときは、ご家族みんなで片付けると良いのです。暗い土蔵の中を一人でゴソゴソと「これは何だったっけ」とか言ってホコリを払いながら、掛け軸の箱を開けてみるとか、そういうことは、私に言わせれば、本当に怖い話で、嫌なことです。鑑定士の中島さんがこの話を聞いたら「余計なことを言うな」と言うかもしれませんが、とにもかくにも、因縁まつわるものが土蔵の中に存在していることは事実です。片付けるならばみんなで片付けて、みんなで見ておくならば、あまり気になさらなくて良いのですが、一人で陰にこもるように土蔵を整理するようなことは、おやめになった方が良いと思います。

次は、古い写真の問題をお話しいたしましょう。
いま「ひょっとしたら霊的な写真があるのではないか」ということで、私のホームページの中でも、霊現象や霊写真があったら、私が見ましょうという企画があるのですが、あまり応募はありません。なぜかと言いますと、実際問題として霊写真というのは、そんなにたくさんあるものではないからです。
一番の問題は、どうしてその写真に、人の顔やら、写らないはずの手が写ったりしているのか、ということです。よく考えてみますと、無いはずのものが写っていれば、確かに怖く感じるかもしれません。世の中にはそういう写真を霊写真だと言ってオドロオドロした話をする霊能者とかがいますが、それを信用する信用しないは、皆さん次第です。
私はそんな話は、全然問題にしておりません。滝を写すと人間の顔がいっぱい写っているとか、この森のところには人間の顔が出ているとか、そういうことを言う輩がいます。しかしここで、ハッキリ申し上げておきます。写真に霊魂が写らなければならないという理由は、ひとつも無いのです。
現世に生きている人間に対して「供養をしてほしい」「私はこんなに霊の世界で苦しんでいます」「惨めな生活をしています」「どうか供養してください」「私を救ってください」ということを訴える霊は、もの凄くいます。でも、写真に写るということは、霊にとっては必要がないことなのです。そんなことをしなくても、人間に訴えればいいことです。
写真に霊魂が写っているように見えるというのは、光学的な作用でしょう。あまりこじつけたような表現は、おやめになった方がよいと思うのです。ですから今、霊写真があったら見ますよということを書いてはありますが、霊魂が写真に写ってこなければならない理由というのは、私はゼロに等しいと思っております。もし本当に「これは霊写真だな」というものがあったら、それこそ、その霊が血迷ったのでしょう。そこに出てくるしか能がなかった霊魂なのでしょう。
それから、昔の友人や、縁が切れてしまっているご親戚といった方の写真は、全く必要ないと判断なさった場合は、燃やして処分してしまった方がよいです。縁が切れている人の写真をいつまでも持っているということ自体がおかしなことで、あなたにとって完全に関係ない、この人とはもう縁が切れてるんだという人の写真は、なくされたらいかがですか。
女性の方でも、昔恋人だった人の写真を持っていて、ああ懐かしいなと思っている方もいるかもしれません。でも、その写真をいつまでも持っていても、もう1回縁が戻るとかいったことはあまり無いのですから、おやめになった方が良いと思います。処分して綺麗サッパリなさって、先へ先へと自分の気持ちを進めていった方が、私は良いと思います。
そういったものをいつまでも持っていても、霊的にも気になる物ですし、あまり良いものではありません。どうか一度、さっぱりと整理なさった方が良いと思います。

こういう話をしますと、長くなってしまいますが、今日はここで一旦、お休みをいたします。