羅門が語る病気の事
「大法行」「御祈願」という表現では、私の「超霊力」の威力が伝わらないようです。はっきり申し上げますが、私は医者ではありませんから、医療行為は一切いたしませんし、出来ません。医師法に違反するようなことは出来ませんし、そのような技術もありません。薬に関する知識もありませんし、薬事法に違反するようなことは出来ませんし、いたしません。しかし、人間の魂に関することはベテランだと思っています。自分で言うのも何ですが、きちんとした理論も持っていますし、「魂の世界」を知る者としては、私の右に出る者はいないという自負もあります。たとえ今、日本においてどんなに霊に関する話を知っている人がいたとしても、人を救う「力」を持っている人はいらっしゃらないでしょう。

そういった自信も実績もあるからこそ、私はただ、ご自分の病気を何とか治したい、助かりたいと思う方は訪ねていらっしゃい、相談しましょうと言っているのです。あなたにはこういった方法がある、こういった祈願をしましょうというお話が出来るのです。百人いれば百通りの方法があるのです。良くなる方法を祈願しましょう、望みましょうと思っているのですが、最近は、それがあまりお分かりにならない方が多くなりました。
私は奇跡的なことをしましょうと言っているのです。「超霊力」は神仏の力であり、奇跡を呼び起こす力でもあるのです。私の「超霊力」で奇跡を呼べる状態に持っていけるのです。それは祈りの力でもあります。私が祈りを捧げ、強く念じることによって「超霊力」が威力を発揮するのです。そういった奇跡の力を持っているということなのです。私の「超霊力」はその人の魂にまで触れていきます。魂に触れることで、その方の病の元を取り除くことが出来るのです。ですから、私のその人に関する考えをお互いに話し合って、きちんとした祈願に入っていこうというのがひとつの方法なのです。
例えば、ガンに関しては抗ガン剤の問題がありますが、抗ガン剤はどんな種類があって、どんな効能で、どれくらいの時間が必要なのかというようなことを聞かれても、だれひとりまともに答えられないでしょう。それほどに知識が浅くても、医者がそう言ったからということだけで結論を出してしまう方が多いのが現状です。けれども、私に言わせれば、人間の体はいろいろな方面から方法を考えなければならないものです。薬学も医学ももちろん良いです。しかし、そこに私の「超霊力」でその方の魂を動かし、魂を奮わせ、その方自身の「超霊力」を呼び起こす力が必要だと思うのです。病気になったことを「運命だ、宿命だ、仕方がない」というように断片的に考えてあきらめてしまうのであれば、人の人生とは一体なんなのでしょうか。人は生まれた以上、自分の人生にどこまでも執着し、全うするべきなのですよ。あきらめるなんて、とんでもない話です。
無病息災とか家内安全とか言って、お正月には何百万という人たちが初詣に行くのですが、その人たちは普段は何をしているのでしょうか。年の初めにお参りに行けば、それでその一年は安泰なのでしょうか。その人たちはそうして初詣に行って、当たり前のように神仏にお願い事をするのに、病気になったときにはどうして神仏の力に頼らないのでしょうか? 仏様はそんなに信用がないのでしょうか。仏様を信用していないなら初詣にも行く必要がないのではないですか?
最近の人は本当にあきらめが早いです。世の中が変わりましたね。変わりすぎました。けれども自分には魂があるということを考えてください。魂自身が病気になることはありません。人間の魂はエネルギーを持っているのです。ご存じないかもしれませんが、人間は本来、一人一人がすごい「超霊力」を持っているのです。いろいろなことが要因で「超霊力」が発揮できず、時には病という形で身に不幸が起きるのです。ですから嫌なら別ですが、もしあなたの心が病に関して相談してみようと思うならば、私と話し合ったらいいと思います。その上で、話を詰めていけばいいと思うのです。私が声を大にして言いたいのは「自分をもっと大事にしなさい」ということです。私のところまで遠いとか、距離が気になるなら大した病気ではないでしょう。大事な自分の病気に関して自分で納得するために私を訪ねていただきたいと、そう私は思います。