私は「私と縁を持った方を災難から守る自信はある」ということは、今までにも何度もブログに書いてきましたし、御法話などでも申し上げております。しかしそれは「縁を持たなければ死ぬ」ということではありません。
私は残念ながら、万人は救えません。

それは私と縁のない方を、私が災難から守ることはできないということです。困っている人、苦しんでいる人に対して、私が救いの手を差しのべても、私の手を掴まない方が往々にしていらっしゃるのです。そういう人まで災難から守ることは、私はできないということです。もちろん、私と縁を持たなくても災難から助かる人はいます。しかし災難が起きたときに、誰が助かって誰が助からないかということは、恐らく誰にもわからないでしょう。それを決めるのは、聖霊界なのです。聖霊界から見て必要な霊魂は、聖霊界が守りきるのです。

例えば昨日も茨城のほうで、不運な事故が起きたそうです。命に別状がなかったことが不幸中の幸いと思いますので、今回あえて取り上げますが、歩道を自転車で走っていた中学生に、車道から飛んできたタイヤがぶつかって骨折をしたそうです。これも本当に、中学生がそこを通りかかるのが1秒ずれていたら、中学生はタイヤにぶつからずに済んだのです。何よりも記事に載っている女性の話が、私はすべてだと思うのです。
近くに住む女性(60)は「歩道にタイヤがつっこんでくるなんて考えただけで恐ろしい。中学生は本当に不運でかわいそう」と、気の毒がっていた。

全くその通りです。まさにこういったことを「不運」と言わずに、何を「不運」と言うのでしょうか。こういう話を聞くたびに、私とご縁があれば守ってあげられるのにと、悔しい思いをしているのが私の気持ちなのです。私を通じて、すでに聖霊界としっかりとした繋がりを持っている方々は、私が聖霊界の超霊力を使うことで、いつ地震が来ようが、どんな災害が起ころうが、必ず助かる人の中に入れることができるのです。
逆に考えると「なぜ災難に遭うのか」という話にもなります。これは今連載をしている「聖霊界」の摂理が関わってくる話ですので、非常に長くなりますし、言葉も選んでいかないと書くことができない話ですから、今ここで簡単に書くことはできませんが、いずれお話をすることになると思います。そこから考えても、災難に遭わないための一番の早道は、私とご縁を持つこと、つまり聖霊界と繋がりを持つことなのです。

ここのところ、地震についての話をブログで何度もしていますし、地震にはくれぐれも備えてくださいということを何度も書いています。大きな地震が起きますということも書いています。いつでも可能性がありますから、その意識を持つようにということも、何度もご注意申し上げております。
それに対して恐怖を煽っていると言う人もいますが、例えば、将来的にどこかで大きな地震が起こるということは、例えば文部科学省の専門機関も、各県庁所在地別に確率という形で発表しています。では文部科学省は恐怖を煽っているのでしょうか。
私は地震の専門家ではありませんから、科学的なデータに基づく話ではありません。私の予言は、すべて聖霊界からの託宣です。信じる信じないはその方次第です。
しかし、大きな地震が起きることがわかっている以上、私の立場として何もしないわけにはいきません。ですから、そのような災害から一人でも多くの方がお救いできればという思いもあって、ブログに動画を載せたり、文章を書いたりした上で、私とご縁を結ぶためのインターネット会員の制度を作ったのです。単なる予言のように、言いっぱなしということは私にはできません。私は宗教家として、一人でも多くの方を救わなければならないのです。しかし、私とご縁を持つ、持たないを決めるのは、私ではありません。皆さんなのです。
中には、宗教に関わりたくないとか、私とご縁を持ちたくないとかいう方も、たくさんいらっしゃるのでしょう。しかし私が人を救うためには、どうしても3つの要素が必要なのです。それは、その方の信仰心と意志、それと私の意志、そして神仏の意志です。私は、私とご縁がある方のことしかわかりません。私とご縁がない方のことは、何もわかりません。ですから、私はどんな方でも救えるとは思っておりません。私とご縁がある方しか、救うことはできないのです。

大きな地震が来るというので、家具が倒れないようにしたり、防災用品や水や食糧を買い込んだりした人もいらっしゃるでしょう。ここで例えば、何月何日に地震が来るという日にちがわかったら、それ以外に何か準備をすることがあるのですか? 例え何月何日ということがわからなくても、地震に対する準備は常に必要だということを私は書いているのです。ですから、何月何日ということを発表するのは無意味なことで、恐怖を煽るだけだと言っているのです。
私は今、大変一生懸命にブログを書いておりますので、皆さんにわかって頂けるといいなという気持ちは大いに持っております。とはいえ、私の文章の内容は、読む方の感性でいろいろな意味に捉えられることがあるとは思います。それはご自由なご感想をお持ちになって良いのですが、私が書いていることを悪いことのように捉えられるのは、非常に残念です。私の文章を読んで何もかもマイナスの方向にしか捉えられないのでしたら、お読みにならない方が、お気持ちの上でも良いのではないかと思います。