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羅門が語る病気の事
いま私は、信仰という問題とは少し違うことで、非常に悩んでおります。その悩みというものは、ある考えを持つ人たちの心が理解できないということです。

《10/25 追記あり》

今、正確な数字は私はわかりませんが、「引きこもり」と呼ばれる人たちが、何十万人、何百万人といるのです。社会的に仕事もできない、ただ家で悶々としているような、引きこもりの子供や青年達はいっぱいいるのです。三十代の人でも引きこもりはたくさんいます。結婚できない、縁が無いという人もたくさんいますが、その中にも引きこもり的な感覚を持っている人が、いっぱいいることも知っています。
自分の子供が引きこもりになってしまうと、お父さんやお母さんは、どのようにしたら良いのか解決方法がわからないものです。精神科へ連れて行くようなこともなかなか難しい、ではどうしたら良いかと解決方法を考えても、何も出てこない、どうしたらいいかすらも、わからない状態なのです。
私は、この引きこもりの人たちは、病気といえば病気なのですが、医者にかかったり、薬を飲んだりしても、絶対に解決しないという確信を持っています。それは、些細な問題だったり、「何か鬱っぽいね」と言われているような状態なら、改善される場合も無きにしもあらずでしょうが、実際には、父親や母親の決意しか解決方法は無いのです。私は、もう二十五年ぐらい前にも、そういう問題に関して呼びかけたのですが、そういうことに関して父親でも母親でも、関心があるのか無いのかわからないのです。

私は別に自分が威張ったり、偉そうなことを言ったりするということではなく、私に相談してくださいと言いたいのです。人は一人一人、状況が違うのです。十人いれば十人、二十人いれば二十人とも、形も状況も違うのです。ですから、引きこもりの問題を解決することについて、全般的なパターンがあるわけではないのです。一人一人違うのです。だからこそ問題なのです。
そして、これは早く治すという医学的な問題ではなく、早くそういう状況から脱皮しなければならないのです。そのためには、お父さんやお母さんの配慮がどうしても必要なのです。それで私がご相談に乗って、こういう風にしましょう、ああいうふうにしましょうというご相談をすれば、状況が変わっていく可能性があるのです。「病気が治る」という感覚はやめましょう。
例えば私が「治る」なんていう言葉を使ったりしたら、これは社会的に問題とされるわけです。良いと思ってしたことが、悪に取られることがもの凄く多いのです。病気の場合に「治しましょう」というような言葉は、医者でない限り使えないのです。でも面白いもので、こういった鬱的な病気というのは、医者では治らないのです。薬では治らないのです。
私はこういった精神的な病気に関する医者の問題で、ある事実を持っております。医者はこういった問題に対しては、マニュアルの内容通りに診断する場合が非常に多いのです。それは、マニュアル通りにすれば危険がないからです。そして、一人一人の状況が、医者は余りよくわからないものです。
結局これは心の問題なのです。子供一人一人の感じ方なのです。子供にとって、その生活環境がどのように作用しているのか、その子供にしかわからないのです。例えば、色を考えてみますと、「この色は緑色だよ」と親が言っても、果たして子供にはそれが緑色に見えているのかどうか、それはその本人でないとわからないのです。親が緑色だよというサンプルを見せたところで、それが子供にとって、本当に緑色に見えているという確信はないのです。それを親が決めつけたりすることは、その子供にとっては大変迷惑な話なのです。そして、その子供がどう感じているかということについても、親はその子供ではないのですから、親の考えた通りに感じているかということは、親も半信半疑的なところがあると思います。

私のところへ来なさいと言うと、遠いとか近いとかいう問題を言う人がいます。これには最後には腹が立ってきますが、遠い近いということを言う人は、私のところへ来なくて結構です。相談にも来なくて結構です。子供の人生のため、子供のこれからのために、私のところに来るという時に、親が遠いとか近いとかいうことを問題にするということは、その内容は推して知るべしです。何をさておいても、自分の生んだ子供でしょう。その子供が成人になって、親としても悩んでいるのに、遠い近いなんていうことを考えているということは、私は受け付けません。そういう人たちのことが、私は本当に理解できません。自分の頭で色々考えても解決できないのですから、どうして「私と相談する」という機会や時間を作れないのですか。
私は日本人を不思議に思っています。アメリカの人たちは、もっともっと積極的です。東洋の人たちももっともっと積極的に、自分の子供のことや親族のことを考えています。日本人はなぜなのですか。どうしてなのですか。教えて下さい。どうしてこんなに野放図なのですか。どうして怠けるのですか。どうして自分勝手な考えばかりに走るのですか。どうして都合の良いような解釈を自分で作り上げていくのですか。もっと目の前にある問題に対して、ストレートに、素直に考えたらどうですか。私が手を差しのべると言っているのです。私がお教えしましょうと言っているのです。私は薬も要らない、医者もそれは違いますよと言っているのです。最初に書きました、私が今悩んでいることというのは、そういうことなのです。

まず、日本人の悪い癖を取り払いましょう。遠いとか近いとか、時間がかかるとか、訪ねていくのが面倒くさいとか、自分の都合の良い解釈ばかりしていたら、何もかも解決はしません。ずっとそのまんま進んでいってしまうだけです。思い切ってきちんと自分で行動しましょう。そして
「こういう子供なんですけど、どういう方法がありますか」
「どういう教え方をしたらいいですか」
「どうしたら引きこもりが治りますか」
と、どうして私に聞きに来ないのですか。

日本人というのは、「恥をかく」ということが非常に嫌なのです。暗い部分を見られるのが非常に嫌なのです。ですから格好を付けるのです。そういうことをしていては、こういった問題は全然解決しないのです。それなのに、どうしてそういう考えを持つのか、私にはわかりません。私が手を差しのべているのに、その手を離してしまう、その手を取っ払う、そして親子で悩んでいる、そんなことをずっとしていて、どうするのですか。大きな問題になる前に、きちんと解決をしておくべきです。考え方が屈折している人が、引きこもりの中にもいるのです。そういう人が、きちんとした判断ができず、犯罪に走る場合だってあるのです。
いいですか。この私のブログを読んだならば、遠い近い関係ない、とにかく私のところへ飛び込んできて下さい。必ず解決方法はあります。こういう子供にはこういう風に、こういう青年にはこういう風に、こういうお嬢さんにはこういう風に接して下さい、そしてこうして下さい、ということを私が全部お教えします。行動を起こさない人たちに対して、私が逆に悩んでいるのです。それをどうか理解して頂きたいと思います。



《10/25 追記》
今日は、このブログを読んでいただいている皆さん、そしてこのブログを知っていらっしゃる方々に対して、素直に私の間違いを心からお詫び申し上げたいと思っております。
それは、私の完全なる思い違いでございました。本当に表現は伝わらないかもしれませんが、何とかして私も努力して、一生懸命に祈願をして、自分なりに強烈な祈願行をもって、何としてでも困っている方をお救いしなければいけない、それが自分の使命だと思って頑張ってまいりましたが、その中で私自身が大きな間違いをしていることに、この1日2日の間に気が付きました。ですから今日は、本当に心からその誤りを正していきたいと思っております。
それは、引きこもりの方々が、何とかして引きこもりから脱皮するように、その方のお父さんやお母さんにも、お力を貸していただいて、私と一緒にご相談して、引きこもりというような、情けなくて惨めで暗いことはやめて、ありとあらゆる方法を尽くして、早く一般社会に出てきて欲しいと思い、私も祈願行でそれに尽力をする、頑張るつもりでブログに書きました。「ご両親のうちのどちらでも良いし、ご本人でも良いし、私を訪ねてきてください、ご相談しましょう」と呼びかけましたが、これは私の間違いでした。
自分やご家族が引きこもっていることについて、苦しいとか大変だとか、色々な感情を持っていらっしゃる方がいると思ったのですが、それは間違いでした。誰一人いませんでした。
なぜならば、誰も私のところへはご相談にいらっしゃらなかったからです。
そして、これについてブログにコメントを頂いた方から、私も大変勉強させて頂いたことがあるのです。それは、「本当の引きこもりというのは、ある意味においては贅沢なことだ。本当に生活が大変だったり、家庭が大変だったり、両親に迷惑を掛けていたりしたら、引きこもってなんかいられるわけがない、そんな意志の弱いことではどうにもならない」というご意見でした。また、ある別の男性から「引きこもりとは自分に甘い、贅沢なことなんだ」というご意見もありました。
私は引きこもっている人は、それなりに苦しいだろう、どうして良いかわからないのだろうと、思っておりました。ところが社会は違った目を持っておりました。それはやはり、その人たちの意見が私は正しいと思います。それは、本当に生活のことを考えたり、これからの自分のことを考えたりしたら、引きこもってなんかいられるわけがないのです。引きこもりというのは単なる甘えであると、私もつくづくそう思います。
他にも色々調べたり、色々な人に意見を聞いてみたりしました。みんな意見は同じです。「引きこもりは個人の贅沢なのだ」という点で皆さんの意見が一致しております。それを私が何とかして救い出そう、社会復帰させよう、そう思っていた私が、大変な間違いを犯していました。心からお詫び申し上げます。
引きこもりのことについては、もう何も申し上げません。その引きこもっていることが、良くないことだと思っていた私が間違っておりました。引きこもりのことに関して私の勝手な考えは、もう二度と止めにします。確かにその方のご自由でございます。申し訳ございません。本当に私の勘違いでございました。
もっともっと他に、救わなければならない人がいるんだということが良くわかりました。私は、救いというものがどういうものかと考えてみますと、それは救いを必要としている人に対して、私が頑張ることであって、私がお節介をするということではないのです。私の勝手な思い込みで、救おうという考えを持つことは、間違いです。本当に救いを求めている人に私が出会っていけば、その時が本当に救いが実っていく時だと、つくづくそう思います。
今、聖霊界から色々な啓示を受けています。私も迷うときは、聖霊界に問いを出すのです。そして近々、ぜひお話をしたいことがいっぱいあります。色々な方にお会いすることを楽しみにしております。
本当に勘違いをして、申し訳ございませんでした。それでは、今日はこれで失礼いたします。