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今までこのブログに、聖霊界についての色々な摂理をずっと書いてきました。少し難しい話もあったかもしれません。今回は今までとは少し趣向を変えて、人間の世界で起こる様々なことが聖霊界から見るとどういうことなのか、Q&A、質問と回答の形式で書いていきたいと思います。
これは毎回何度も書いていることですが、信用されない方は信用されなくて結構です。また、特定の誰かを中傷したりする意図はまったくありません。しかし、聖霊界の見方として、ありのままの話をそのまま書いていきたいと思っております。とにもかくにも、これは魂の世界の摂理なのです。
Q(質問)
犯罪の犯人が人間社会で刑罰を受けるとき、被害者やその家族にとって納得できない刑になることがありますが、聖霊界では制裁のようなものはあるのでしょうか?
A(回答)
ある犯罪の犯人が人間世界で刑罰を受けるとき、日本では最高刑は死刑です。しかし、誰が見てもひどい犯罪なのに死刑にならなかったり、執行猶予がついたり、いろいろな理由で大したことのない刑になったときには、被害者やその家族が納得できない刑になったりすることがあります。
聖霊界は法曹界ではありません。しかし、聖霊界が制裁を与えるということよりも、その犯人の家族が「犯人を出した」という制裁を受けるでしょうね。それは取り返しのつかないことです。「あそこの長男が」「あの家の次男が」ということが、3代4代と消えないでしょうね。これはある意味では大きな制裁でしょう。
Q(質問)
犯罪の犯人になったことが、その犯人の家系に因縁として作用することはあるのでしょうか?
A(回答)
あるのでしょうかどころの騒ぎではありません。犯人の家系としては大きな因縁を作ってしまわれたのでしょう。その家系にいる人たちは、別に犯人ではないのですが、犯人が家系の中から出ているわけですから、その犯人を一家としては消すことはできませんね。その家系から犯人が出たということは消すことができませんから、それを色々な意味で、罪を一緒に背負っていかなければならないということは当然出てまいります。
Q(質問)
聖霊界から見て、通り魔の犯人はなぜ通り魔になったのでしょうか?
A(回答)
結論から言えば、その人間がそういう風にたどり着くような因縁を持っているということです。それから精神的な状況によることもあります。要するに霊格が低い、悪いということが、聖霊界から見ると考えられます。
程度の低さと同時に、常識の低さもあります。当然こういうことをすれば転生なんてありませんし、生まれ変わりなんてあり得ませんから、ただただ消えていくだけでしょう。もっとも殺人犯になれば死刑が適応されますから、その瞬間にはもうこの世から消えていくでしょうね。
Q(質問)
聖霊界から見て、通り魔のような被害を受けない方法はあるのでしょうか?
A(回答)
これは難しい質問ですね。通り魔に遭う人は突然襲われたとか、たまたまそこの現場に出くわしていたとか、そういうような人智では考えられないような悪い出会いや、悪い偶然に遭遇してしまうわけです。聖霊界から見ますと、通り魔に遭ってしまうという悪い縁が、糸をたぐるようにそこへ来てしまっているのです。花や木が一日にして育たないように、嫌なことも4年も5年も前から支度されていたと考えていいと思います。降って湧いたような問題ではなく、そういう嫌なことに出くわすとか、そういう目に遭ってしまうということは、少なくとも3〜4年前からそういった道を歩いてきたということです。やはりきちんとしていないのですよ。
これは神仏の世界のことですから、否定するならとことん否定すればいいですし、それは自由ですが、これについては人間が人間を頼っても、どうにもならないことです。聖霊界に守られているという自覚はすばらしい宝なのです。そういう風に考えなくてはいけません。聖霊界から見たらば、被害を受ける人はそれだけの道を歩いてきたということですね。











私は、今回のお話(Q&A)にあるような通り魔だけでなく、虐待や事故による理不尽な死というものにやりきれなさを感じます。また、体の痛みだけでなく、発せられた言葉により傷つく場面についても同様です。
「人の常識、良識からは明らかに外れている人によって、まっとうに生きている人が傷つけられる。人の世界ではそう思っても、聖霊界から見たらそうとも言えないのだろうか。
やはり、そこには受け止めか方に違いがあり、私たちは受け入れざるをえないのだろう。
自分は聖霊界から見守られ鍛えられている。だから目の前の出来事はすべて必然。喜びだけの毎日にこしたことはないが、悲しみに出くわすことも必然。
それなら、自分の努力で喜びの多い日を過ごせるようにしたい。でも、人の力では避けようのない出来事にも遭遇するだろう。不安になる。そのために信仰があるのだろうか。そして生きている限りは、毎日努力が必要なのだろう。
それにしても理不尽な事は、どうにかならないものだろうか。」
と、堂々めぐりです。