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おみくじ1月4日付の読売新聞に、「縁結びの神様」と言われるようになった神社に並んでお参りをする女性についての記事が掲載されていました。これについて、今回も対談形式で色々なことを書いていきたいと思います。

質問者A 記事にも書いてありましたが、結局はこの神社は篤姫で有名になったわけですよね。それでみんな行くようになった。例えば藤原紀香さんが生田神社で結婚式を挙げたから行くのと同じことですよね。
質問者B ここの神社のことしか書いてないですからね。他の神社にも行列ができているというなら、話はわかりますけれど。
質問者A この内容を読んでいると立派な信仰が成り立っていますよね。その人がそこの神社にお願いすればいいということで結局通うわけですからね。
羅門 そりゃそうだね、通うということは大事なことだね。その人が必要として感じれば通うのでしょう。
質問者A 私は割とドライなタイプなので、お願いすれば叶うものでもないだろうというのがどこかにあって、そういった縁はお願いしたところで来るものではないという感覚があるのですが、そういったことを心では願いつつも、どこにあるかわからないというか。だからそういうところへ通うという心理を考えると、それは立派な信仰だと思います。私たちが聖尊寺でお参りするのと同じなんですよね。その人にとってはそこが願いを叶えてくれるところなんですよね。
質問者B この人達の場合は、そういう信仰と言えるところまで確立しているかどうかは、ちょっとわからないと思います。例えば誰かの歌手のコンサートに追っかけで行くとか、そういった感覚じゃないかと思います。
質問者A そこへ一心にお願いをしに行く人たちと、私たちとの共通点とを考えると、やっぱりそこを信じているか信じていないかですよね。だからその点においては共通していますよね。
羅門 縁結びということは、最終的には結婚したいわけでしょう。男も女もいずれ結婚するというのは大体常識的になっているわけです。しかし私の知人にも、もうすぐ60歳になるのに独身の人がいます。私が何で結婚しなかったんだろうと聞いても「いやー似合う人がいなかったんだ」という返事です。それは良い断り方だなと思いながら、ではどういう人がいいのかということを詮索する必要もありませんし、人それぞれです。やはり結婚をしようと思っている人は、その結婚をしようとする体勢は持った方がいいんじゃないでしょうか。
質問者A 新聞の文章を読んでいたら、30歳で既に「大台」という表現をしていましたね。大台?と思っちゃいました。確かにちょっと前まではそうだったけれど。
質問者B 大昔は15で嫁に行ってたんだから。
質問者A 昔はそうだけど、久しぶりに聞きましたよ。逆に新鮮だった。
羅門 それは書く方の勝手だから構いませんが、自分の人生の中で結婚した方が良いと思っている人は、それなりの手段を考えればいいし、それは良い人に巡り会えるように、良い縁を持てるように、そういうことに関しては最善を尽くすべきではないでしょうか。「縁は異なもの味なもの」と言われているのですから、結局いろいろな人たちに「どういうご縁だった?」と聞いてみれば、全部不思議な縁なのです。作られた縁というのはなかなか無いのです。だから不思議な縁なのです。不思議な縁に出会うにはどうしたらいいかというと、やはり神仏のところでないと、そういう縁には出会わないと思いますよ。新聞や雑誌にも「ケータイでいい人に逢いましょう」とか、色々な広告が出ていますが、そういうものには神秘性はないと思います。結婚に関しては、ある意味の神秘性を求めた方が結婚しやすいでしょうね。
質問者A その神秘性というのは、今の話に出たような出会い系とかは神秘ではないけれど、お見合いとかはどうなんでしょうか?
羅門 お見合いというのは自分でセッティングできませんね。やっぱり家族とか親友とか、誰かが結んでくれるきっかけを作ってくれないとできませんね。それには自分が結婚したいという意思を、親戚にでも親友にでも伝えていなければいけないですね。例えば「あなたずいぶん一人でいるけど、結婚する気あるの?」と聞いて「ないわよ!」なんて言われたらそれで終わりですからね。「ないわけではないけど…」などと言われたら、「じゃあお見合いしてみる気ある?」とかいう話になるものです。そして神仏に対しても、信仰するとか経典を読むとかいう問題ではなくて、その場所には通うべきだと思います。
質問者A こうしてお参りに行くという人は、自分ではどうにもならないから神様仏様しかないという結論になるわけですよね。
羅門 そうですね。それで自分が今まで恋愛したことがあっても、それに破れて、その理由は自分にある場合もありますし、相手にある場合もありますし、両方にある場合もあります。そのへんに神秘性があると思います。
質問者B こういう人たちは神様仏様にお願いしに行くというのは、間違ったことではないということですね。
羅門 完全に間違っていないと思います。それで、そのぐらい神秘性を持っていることによって、ご縁があっても、そのご縁を大事にするのですよ。街角でぶつかって縁があったなんていうことはなかなか無いのですから。だけど例えば神社に行って、おみくじを引きますよね。これは私はある意味では、慰めのものだと思うのです。それは自分でコントロールするしかありません。例えば有名人の誰だか忘れてしまいましたが、おみくじを引くと、大吉が出るまで引き続けるんだそうです。それはやはり、大吉に対するしがらみだと思うのです。そして慰めだから、そういうことも平気でできると思うのです。それからこれは本当かどうか私は行ったことがないからわかりませんが、金比羅様には階段が1368段あるそうです。金比羅様は漁師の安全を願うところですから、それだけの階段を登って、お参りして降りるのは、それだけの意志を見せるということです。そしてそれが疲れるから嫌だという人のために、階段を上り下りしてくれる籠屋があるのです。そうなってくるとこれはもう観光ですよね。どこかの岬で鐘をカンカンと鳴らすと結ばれるとかいう問題ではないのです。そういったものはゲームだと思いますし、それで楽しめばいいのですよ。
質問者A こういった神社には力のようなものは無いと思うのですが、聖尊寺は違いますよね。そういったあたりはどう考えればいいでしょうか。
羅門 私の御霊示は、魂のある問題ですから、おみくじのようなわけにはいきません。「私の結婚は先生からご覧になってどのぐらいで結婚できますか」と、誰かが私に聞かれれば、私はすぐお答えできるわけです。但しそこに必ず条件というものがあるのです。それはお顔を見て話をしなければわかりません。
質問者A こういう神社とかにお参りに行くのは一方的に行くだけですし、結論を出すのは本人ですから、結局はもう自分の都合ですよね。でもそれでも縁を結んだとか、願いが叶ったとかいうことは偶然なのですか?
羅門 偶然と言うよりも、お参りに行くことによって自分で自分を変えてきているのですね。
質問者A では一応結果が出たということですか。
羅門 昔から月参りとか、お百度参りとか、そういったことがあります。それはそうやってお参りに来るだけの熱意を持っていれば、そういう人は自分の良いところは伸ばしていくし、欠点は自分で取り除くように自分で努力します。それを自分で確かめるために通うのです。そしてその人間の決心を見るために、昔からそういう言い伝えがあるのです。極論ですけど、例えば大酒飲みだったけれど、今のままでは嫁に行かれないからということになれば、酒も控えるでしょうし、自分の中で、これじゃまずいなということをだんだん削っていくでしょう。そうしているうちに、気づかない間に堂々とお嫁に行けるという感覚を持たせるのが、お百度参りや月参りです。
質問者A それはお参りを繰り返すことによって、自制心が生まれたということですか。
羅門 自分の中の心の変化が生まれたということでしょうね。と同時に、例えば熱心ということは、第三者が見ているのです。それは仏様も神様も同じなのです。その人の熱心さに答えがあるのです。ところが東京タワーをお参りしても心の変化は生まれませんね。それは人間が持っているDNAでしょう。要するに、神仏に対する尊厳や意識でしょうね。信仰という言葉よりも、自分を高めていく、結婚するに当たってふさわしくなっていくためには、こういった場所が必要だというのは事実だと思います。
質問者B 神社と聖尊寺の違いというのは、神社は一方的にお参りするだけになってしまいますが、聖尊寺は指導して頂けるということでしょうか。
羅門 こうしなければいけない、あなたの性格のここを直さなければならないとか、ここを削りなさいとか、そういうお話をすることで、結果を早く出せるわけです。この記事にも「5年通ったらいい縁がある」と言われたという女性が載っていますが、5年も女性の青春を待たせる必要はないのです。今日とか明日とかいうことは言えなくても、早く考えるべきではないかと思います。それから一番大事なことは、いい人と結べる、ということです。モテたいという人がいますが、誰でも良いから10人20人にモテればいいということではないのです。大事なことはきちんとその人に合ったいい人に会うべきなのです。
質問者A その縁がいいかどうかを判断してあげることができるということですね。結局、その神社にお参りに行って縁があったと思ったものが、いいか悪いかを本人には分かりませんからね。
羅門 そこが怖いところなのです。だから、そういったことに関しては、聖尊寺ではその人間の人生を考えてあげているということです。人間には相性とよく言いますが、相性は絶対にあるのです。その相性を見てあげるのも、神社ではできないのです。それはもう私の得意とする所なのです。例えば女性が御霊示にいらしたとします。そこで、サラリーマンとは結婚しない方がいい、自営業の方と結婚する方がいいですよ。なぜならあなたが自営業の方のところへお嫁に行けば、あなたを生かすことができますよ、などとアドバイスできるのは私しかいません。例えば私が「あなたはこれをしなさいよ、これだけはやめなさいよ」と言うことがあります。それはその時には分からなくても、後で「ああそうか、こういうことだったのか」と気づくことが出来るのです。
質問者A 一方的にお参りするだけでなく、答えを出せるということが違うのですね。
羅門 そういうことです。それが責任というものでしょう。
質問者A そうでなければその辺の神社と同じになってしまいますものね。
羅門 あなたはこういう性格はこう直して生きなさい、こういう風にして生きなさいと教えてあげなければいけませんから。だから、結婚できるようになるのです。