チューリップ人間が感謝の気持ちを持つということは、どのように具体的に考えたらいいですか?


感謝というのは、心の中でも言葉の上でも文章の上でも「ありがとうございます」「感謝しております」という言葉を使うように、そういう自分の感情の表れ、ありがたさの表れを感謝というのです。結局何かをして貰っても当たり前だと思う気持ちは良くありません。どんなことでも、して頂いたら「ありがとうございます」という気持ちを常に細かく持っていないといけません。何でもかんでも当たり前だと考えるのはいけないことです。
感謝に値するようなことは、人からはなかなかしてもらえないものです。それは冷たいというか、気づかないというのか、しないというのか、結局は人間対人間の心の交流が、今の世の中では100%なくなってきたと、そう言っても過言ではないでしょう。昔は人情があるとか、真心があるとか、そういう心の問題をすごく話していましたが、今はそういう人間対人間の気持ちの表れがだんだん希薄になって、感謝をしないのではなく、感謝をするようなことが起きないということです。それで人様に感謝されるように善行をするということも、当たり前の行いなのですが、なかなかしません。しないから感謝されません。
結局は大きくまとめていけば、そのようなことがだんだん無くなってきたということです。この文章は礼節ということをよく考えていただくために書いているのですが、先般も書きましたように、電車の中でお化粧をする女性の姿というものが、今の日本人の形ではないでしょうか。ですから良い悪いということよりも、そうなってしまった、またそれが普通になってきたということです。そしてまた、それを見ている人も普通に見ているということです。私がここであえて礼節を持って生きていきましょうと言っていますが、100分の1でも良いですから、このブログを読んでいただいた方に納得して頂けるかどうか、NHKの番組ではありませんが、ガッテンして頂けますかということになるのではないでしょうか。
「人間はこうしなければならない」「こうすべきである」ということを、口を酸っぱくして言っても、ああそうだ、そう思いますよといって相槌を打ってくれたところで、果たしてそれが相手の方の行動として現れるのかどうか、また人様にお話をしたようなことが自分でもできるのか、ということは、大切な結果待ちの問題です。ただ、礼節がこの日本から消えていくということが、徐々に心配になってきた時には、もうそういうことに対して話し合う機会もだんだん無くなっていくでしょう。生活が機械化されていくようになれば、礼節について語られることも無くなるでしょう。
また礼節については、どんどん書きたいと思います。これは過去へ戻るとか、後ろへ下がるということではないのです。過去ではきちんとしていたことを、今でもきちんとしていたいと思うのです。