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羅門が語る病気の事
火1週間ほど前の新聞各紙に、興味深いアンケート結果が掲載されていました。それらの記事によると、ガン患者は一般の人に比べて、「死後の世界」や「生まれ変わり」などを信じない傾向が強いそうです。
私は今までブログで、聖霊界や輪廻転生について何度も書いてきました。もちろん、信じる人もいますし、信じない人もいることはわかっています。

時事通信の記事によると
「死後の世界がある」と考えるがん患者は28%で一般都民の35%より少なく、同様に「霊やたたりはある」は26%(一般33%)、「また生まれ変わる」は21%(同30%)だった。医師はそれぞれ2割前後と最も低く、科学的な死生観がうかがえた。

ということです。
この結果を見て私が思うことは、まず、一般都民で「死後の世界が存在する」と言える人が35%いるという、それだけの意識を持っていることが素晴らしいことだと思います。
霊やたたりに関しても、ガンになってしまうと否定的になってしまうのは、ガンということにしか向かい合えない、要するに余裕がないということだと思います。一般の人はまだ死に直面していないから、そういうことが言える精神的な余裕があると私は考えます。
輪廻転生を信じている人も、一般のほうが多いわけです。それは輪廻転生ということに対して、個人的な考え方であっても、希望をしっかり持っているということではないでしょうか。それから医師は色々な面において数字が低いですが、それは医学的医学的ということだけで生活をすると、そういう結論は出ます。しかし医者が手術する前に、隠してある本箱の戸を開けて中にある仏像に「この手術がうまくいきますように」と陰で祈っているという話も、これは大きな事実として否定はできません。

私はそういうガンや難病の人たちこそ、輪廻転生や魂を信じることで、気持ちが楽になると思います。それでもこのような結果が出てきているのは、そういったガン患者の人たちは、「ガン=死」ということが頭の中にインプットされているのではないでしょうか。もちろん、ガンになっても治る人はいますし、治療方法もいろいろあるでしょうけれども、そういったことがガン患者の頭にある以上は、転生や魂に関して信じる信じない以前に、それを理解する余裕がないのではないでしょうか。それよりも
「自分はなぜこんな目に遭ったんだ」
「なぜ死ななきゃいけないんだ」
「普通の人と同じように生活していたのに、なぜ自分だけこうなったんだ」
ということを考えているのではないでしょうか。でも、それを考えても答えは当然出てこないでしょう。ガンに限らず、どんな問題でも、なぜそうなったかということに関しては、必ず原因があります。私はこういう人たちこそ、私とお時間を取ってお話をすれば、全部お1人お1人ケースバイケースの具体的なお答えができますし、良い方向へ向かうようなお話もできるのになと思うのです。そして私は、このアンケートのような話を聞くたびに、こういう人たちを私が救えないことに対して、もどかしさというか、悔しさを感じるのです。

人間は生まれた以上は、いつか必ず死にます。日常の中で「誰々が亡くなった」という会話がありますが、その時に「えっ、もう亡くなっちゃったの、ちょっと早かったね」という会話もあるでしょう。しかし、それはその人の主観です。もしその時に「あの方ガンで入院してらしたの」という話があれば、その人には寿命が来たのだという形で、比較的素直に人間の死を受け入れることができます。「えっ、ガンで亡くなっちゃたの、1日早かったね」とかいう話にはなりません。人の死に関しては、人間は何歳ぐらいになったら、もう亡くなることがあるということがわかっていれば、それでいいと思うのです。

来世があるということに対して横を向いて「信じません」という人が80%いるなら、それはそれで良いのではないでしょうか。その人が無いと思っているのですから、実際にあるものにも触れられません。ただ、お話ししておかなければならないことは、輪廻転生という立派な哲学と真理があるのに、それを否定すれば、真理は否定した人を受け付けないということです。それはある意味において、魂の世界に対する冒涜です。
逆に輪廻転生を信じない人が輪廻転生できたら、それは本来の救いではなく、大きなお世話になります。例えば、お饅頭が戸棚の中にあるとします。でもそれを知らない人は、絶対に戸棚にあるお饅頭は食べられません。「戸棚にお饅頭があるよ」と教えても、それを信じないのですから、食べられるわけがありません。お饅頭をわざわざ戸棚から持ってきて無理に食べさせたりしたら、それは余計なお節介になります。それと同じように、転生なんか信じませんという人を、なぜ聖霊界に行かせてあげる必要があるのでしょうか。

結局、聖霊界や輪廻転生を信じるとか信じないということは、その人の意志です。もちろん信じている人もいるわけです。その人に会ってみたら、過去に悪いことがあって、とてもじゃないけど転生できるような状態ではないという場合もあります。そういう人が病気になって苦しんだりしていても、悔い改めるような気持ちがあれば、宗教家として、どんなことがあっても転生させてあげなければいけないと私は思うのです。こういう事があるからこの人は転生できませんねということを、私はズドンと言えるのです。そして、転生できるようにする方法が、私にはあるのです。
しかし悲しいことは、それを言うと「何か色々なことを言われてるけど、それをすれば転生できるわけだ」というような逃げがあると思われる場合があることです。それは私にとっては嫌なことです。そして私は、人様の悪いことが見えてしまった時に、その人に教えるかどうかということに対して、非常に大きなジレンマを感じるのです。なぜかと言えば、今までそういうことを教えた時に「脅された」と言われたことが何度もあったからです。しかし、例えば良いことを教えた時に「何でこんな良いことを教えるんだ」と言う人はいません。そこはハッキリして欲しいと私は思います。

あえて強烈な言い方をすれば、聖霊界とか輪廻転生とかを信じない人にとっては、どちらにしろ聖霊界や輪廻転生はありませんし、すなわち神仏の世界の加護もあり得ません。ですから、ガンで死のうが、弾に撃たれようが、結果として不幸になるのは当たり前ではないでしょうか。それは信じるべきものを信じないということに対する結果です。運・不運は、人間について回るものだということも、信じていただきたいと思います。
聖霊界のことを知らなくても、何らかの教えを信じていて転生できる人もいます。どの教えを信じるかということは、輪廻転生にはあまり関係ありません。私が常々ブログにも書いていますように、宗教というのは、いろいろな教えの真理が集まったものを言うのです。ですから真理の中で勉強をしていたり、それを実行していた人は、それだけ行いが良い、つまり転生できるような善行、すなわち常識を踏まえた生き方をしてきたということですから、そういう人たちの中に転生できる人がいるのは、当たり前のことです。とにかくその時の人生の生き方に聖霊界は反応するのです。