真信修行法

因を助けて果に向かわせるものである。
総てのものに因果の法則が支配しているのであるが、その果を生ずる因というものを助成する事情・条件すなわち間接的原因を「縁」と言う。


原因が縁に助成されて生んだ結果を言う。これを果報とも言う。要するに過去の行い(因・縁)によっての結果として現れ出てくるものである。

ここで、前回書きました「因」と、今回書きました「縁」と「果」を合わせて考えますと、物事の結果(果)には、必ずその原因(因)や過程(縁)があるということがわかります。前回の「因」の解説では、稲が成長するときの例を挙げています。
たとえば、「果」として稲が生じる種子が因であるのに対して、地や水は縁である。

ここで「因」として種子を蒔いても、成長に合わせて水をやらなければ、稲が枯れるという「果」になりますし、土地が痩せていれば、おいしい米はできません。このように「因」が同じでも、「縁」によって「果」は変わってくるのです。
さらにそうして生まれた「果」がそのまま「因」となって、また違った「果」を生じていくのです。例えば稲の例なら、立派にお米が育ったという「果」があれば、それが「因」となって、美味しいごはんを食べることができたり、また次回の収穫に向けて種を蒔いたりする「果」が生まれるのです。しかし、稲が枯れてしまったという「果」が生まれた場合には、それが「因」となって、食べる物に困ったりして誠に悲惨なる「果」が待っているでしょう。
良い「因」と「縁」は良い「果」を生み、悪い「因」や「縁」は悪い「果」を生み、それぞれが再び「因」や「縁」となっていきます。良い方へ巡っていけば良い循環となりますが、一旦悪い方へ進んでしまうと、それが悪循環となって、どんどん悪い方へ悪い方へと進んでしまいます。これが因果の法則というものです。すべての物事は、この因果の法則のもとに動いていて、ここから離れることはできないと知ることが、人生においては非常に大切なことです。