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今日も、昨日の続きでお話をしたいと思います。
一般的には、霊ということに関しては少し陰気で、怖いものであるとか、暗いものであるとかいう感覚を持つと思います。誰でもそういう印象を持ったことはあると思います。
しかし霊というのは、全く暗いものではないのです。私がこのブログの中でも、また月に2回、第2・第4の日曜日にしております法話の中でも、聖霊界についての話をしたり、霊という言葉を使ったり、色々な霊的な話題が出ますが、私としてもやはり明るく扱っていかなければいけないと思います。

人間で一番大事なものは、「魂」です。「魂」というものは、人間の肉体よりも大事に扱わなければいけないと思うことがあります。皆さんも「魂」というものをお感じになる時があると思うのですが、「魂」という言葉と「霊」という言葉では、ちょっと意味合いが違うように思います。

「霊」という言葉は、何かわざと人をおどかすような、恐怖を与えるようなときに使います。
よく霊を扱う人のことを指して「霊能者」という言葉を使いますが、これは私が一番嫌う言葉です。霊能者なんていうおかしな言葉を、誰が作ったのか知りませんけれども、私はもう全然受け付けませんし、認めもしません。というのは、ろくなことがないのです。
例えば私が以前から言っていることですが、霊的写真というものはありません。それはカメラの構造的な問題で、外部から光が絶対入らないとは言い切れないのです。それで装填してあるフィルムに感光する場合だってあるのです。光の屈折の加減や、色々な形で光が入って、それがフィルムに感光することで、非常に奇怪な写真ができることがあります。
それで「ここに写るべき人じゃない人や物が写っている」とかいう話をよく聞きますが、それはやはり光の屈折の問題とか、現像の時の方法によってそうなるのです。それをすぐ霊的な写真だなどと言って、決めつけるようなことがよくありますが、大変大きな間違いです。
もっと根本的な回答をしましょう。「魂」、要するに「霊魂」と言われるもの、それが写真に出てくる理由がないのです。もし本当に「この写真に写っているのが、どうも霊だ」ということを言うなら、なぜそこへ出てきたのか、その理由をハッキリ言っていただきたいと思います。「霊魂」の立場で言えば、写真に出るようなことは面倒くさいことですから、そんなことをする必要がないのです。ですから、そういう写真で恐怖を感じるようなことは、絶対おやめいただきたいと思います。

また「死後の世界」ということもよく言います。この「死んだ後の世界」という言い方も、また薄暗くて気味の悪い表現です。しかしこの「死後」というのは、肉体が1回終わるということです。人類の歴史が始まってから今までに、この世に生を受けた人の人数は、数字で表せないぐらい沢山いますけれども、死を迎えない人は1人もいません。必ずこの世の中で、ハイこれで終わりという線を引くときがあるのです。ですからそれを何か恐ろしいとか、気味悪くて怖いとか、オドロオドロしたような考え方をするほうが間違いなのです。
ただ、これだけは間違いないことは、「天罰がある、罰が当たる」ということです。これは恐ろしいとか恐ろしくないでは無いのです。行くべきところへ行くというのは、あるから言っているのです。私が今、日常生活をしていても「ああこの人は地獄へ行くなあ」という人にしょっちゅう会います。少なくとも信仰を無くせば、それでもう終わりです。私はこの信仰というものは、どの宗教であろうと全然構わないと思うのです。どの宗教の教えが正しくて、どの教えが正しくないなんていうことは、この世に存在しないのです。どの宗教の教えも、みんなその教えを持っていらっしゃる方にとっては、全部真理なのです。真理に対してとやかく言える筋合いはありませんし、それを評価する必要性もないのです。例えば仏教の中で、「魂」を認めない宗派もあるのです。それが良いとか悪いとかではなくて、「魂」があると思える人はあると思って生活すればいいし、それを人に押し付けるような必要性は一切無いわけです。

その「魂」に関することですが、魂の世界はやはり確実に存在します。
昨日も取り上げました本の中で、瀬戸内寂聴さんがこういう文を書いていらっしゃいます。

夜通し仕事をしたりするときに、疲れ果てて、ふっとため息をついたときなんかに、肩のあたりに温かい何かを感じるんですよ。自分の言葉では「気配」と呼んでいるんですけど、「ああ、あの人が来ているな」と思うんです。「今日は、姉が来ているな」とか、「今夜はあの男が来ているな」とか。それで、何か、ふーっと慰められる。
(新潮社刊「あの世 この世」より引用)

瀬戸内さんのように仏教の世界にお入りになっている方が、こうして自分の体験をおっしゃるということは貴重なことだと私は思います。そして瀬戸内さんのおっしゃる通り、亡くなった方が親しき人を訪ねる、見に来る、そういうような現象は確実にあるのです。
私自身にも、変なリズムがあるのです。私の死んだ父が、私の部屋の廊下へふっと出てくるときがあります。私は「ああ来てるな」と思います。そして、やはり生前の父親をよく知っているだけに、そのイメージが出てきます。そしてこういう「魂」は、続けて出てくる場合もありますし、かと思うと半年も全然来なかったり、ということがあるのです。これはやはり、「魂」にも色々なリズムがあるのでしょう。ただ何かを伝えようとしていることは事実です。しっかりしろよというようなことを言いに来ているのかもしれませんね。
そんな経験を私も持っておりますから、瀬戸内さんがおっしゃることは何ら間違っておりませんと私も言えますし、むしろ「魂」というものは、そうやって時々訪れては人間を慰めてくれる場合が、うんとあるのです。
しかしここで一つ申し上げておきますが、これは楽しいことや嬉しいことという捉え方ではなく、『尊厳のあることである』と自覚していただきたいと思います。
このブログを読んでいらっしゃる皆さんにとっては、賛成反対が色々あると思います。それは生きている人間の言葉ですから、どう取られようと構いませんが、あるものはあるというように、ここで強くしっかりとお話をしておきます。瀬戸内さんのおっしゃることも、何も間違っておりませんし、存在しております。
また続きを書きましょう。