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ここ何日かのブログで、瀬戸内寂聴さんと玄侑宗久さんの対談について書いてきましたが、瀬戸内さんも玄侑さんも、色々な意見を持っていらっしゃるのです。その意見というのはどういう事かというと、お二人とも、今までにお読みになった色々な経典を、対談の時にそれぞれお出しになって、こういうお経があったというお話をされています。
今日はその「経典とは何か」というお話をしようと思います。

私は私なりに、この仏ということに自分が携わってきた過去世、そして現世があり、そして来世はどうしようかと考えていますが、ただその過去世からずっと繋がっている経典の中身は、どういう風に考えたらいいかと、一人静かに瞑想する時があります。
経典を読んでいますと、誰かが解釈をしてくださったことよりも、自分の感覚や、自分が勉強した学問で、経典の中身をすべて解釈していく努力をします。そうして自分で答えを出しますと、人間ですからどこかで間違うことがあるのです。そして、その間違いに気づきますと、もう一回経典のほうへ戻るのです。その時にはもう一回経典を読み直して、その自分なりの解釈や理解をもう一段深めていくと、前の解釈では見えなかったものが、また見えてくるのです。
経典とは一体何かと考えると、やはり人生の反省をする場所だと思うのです。その経典の中にいる自分を反省しなければいけません。

例えばある科学者が、科学について色々なことを解説してくれます。それに対して、何も知らない人がその解説を聞いても、誰でも理解できるようにしてくれるなら良いのですが、その科学者が「皆さんこのぐらいはわかるでしょう」という感覚で話をしますと、私どもにはチンプンカンプンでわからない場合があるものです。
それと同じように経典も、わからない方にいくらご説明しても、やはりわからないものなのです。ではどうしたらわかるかと言えば、経典の中に書いてあるようなことを、自分の人生の中で経験することです。
その経験の中には、行動すること、思うこと、それから慈悲、つまり情けを持つこと、それから布施心を持つ、つまり人に与えるということ、そういった人間としてきちんと行っておかなければならない色々な行いが、経典の中には、これでもかというぐらい無数にあるのです。
ですから逆に言えば、経典の中にあることを一から十まで全部わかるはずが無いのです。もしそれを、一から十、百から千までのことを全部わかったら、それはあなたがすべて体験した、経験したということになるのです。そんなことをしたら何千年もかかります。
経典というのは、人間にとって絶対必要なことが書いてあるものですが、わからないことは読まなくて結構なのです。なぜならば、経験していないことを読んでも、わかるわけが無いのです。経験していてこそ
「ああこれはこういうことなのか」
「こういうことを語っているのか」
とわかるのですが、経験するまではなかなかわからないものです。
ですから自分の人生の中で、あるいは過去世の中で経験した分だけがわかれば良いのではないでしょうか。
経典の中にあるのは、人間の知恵です。仏教用語で言えば「般若(はんにゃ)」です。経典の中身というのは、学問的に広めていこうとするよりも、自分が経験したことをしっかり解釈して、人様にお伝えするということの方が大事です。そしてそれを聞いた人は、自ら何も経験をしなくても、その経典の中にある、尊さや大事さといった、人間が生きていく術をしっかり勉強されることが大事でしょう。

魂のことについても、これから時々お話をしていきたいと思っています。
ただ私の法話会にも人が非常に少ないです。私の法話を聞きにいらっしゃらないということは、それは皆さんが全てもう経験なさっているから、私の法話など参考にならないという意味でしょうか。
どうも難しい世の中で、飛んでもないことがこれからの世の中には起きてきます。今のままだと迷いがうんと多くなる、常に迷って迷います。そういう世の中になってしまったのです。
私の話を聞いて、人間はどういう生き方をしたらいいのかという知恵を持って、自分の行動を判断して頂きたいと思います。どうか知恵を持ってください。知恵というものは、魂を持っている人には存在するものでございます。
また続きを書きましょうね。