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聖霊界
今日は大変な問題について、お話ししたいと思います。これは私個人の考えということでなく、聖霊界というところの考え方を皆さんにお話ししておきたいと思っております。
そのお話しというのは、今日の朝刊にもしっかり出ておりますが、脳死ということについてです。「脳死は人の死である」ということが成立したということです。脳が機能しなくなれば、人間の死として考えていきましょうというのが、昨日成立した国会の考えです。これを実際に履行していくのは1年後という話になっております。
これは臓器の移植の問題なのでしょうけれども、人間が生きていくために、臓器移植の問題はこれからうんと多くなっていくと思うのです。臓器移植という問題は、いずれ機会がありましたらお話ししますが、今日私が書きたいことは、人間の脳が明らかにもう動かず、機能を果たさず、脳だけが死んでしまった、もう人の話を聞くこともできない、考えることもできない、何かを味わうこともできない、とにかく脳の役目が全部駄目だという場合に、それを人間の死とすることに関して、聖霊界はどう考えているのかということです。これは大きな問題です。

聖霊界は人間に対して、試練というものを与えてきます。
ある子供が人間的に、色々なことで数々の苦を背負っている場合には、やはり周りから見ても、かわいそうです。その子供が不憫でなりません。しかし聖霊界というところは、その子供の不憫さ、哀れさよりも、その子供を育てる両親をじっと見ているわけです。両親がどう対応するのか、その子供をどうやって育てるのか、そういうことをしっかり見ているのが聖霊界です。
親はどんなことがあっても、その子供を育てていかなければなりませんし、どんな苦境にあっても親として愛情いっぱいに育てなければなりません。これは人間として当たり前のことですが、中には違う考えの親もいると思います。ただ、その苦を背負っている子供達の親には、どういうことがあるのかということを今日書くよりも、もっと大切なことは、そういう子供達自身も試練で生まれてきていると解釈しなければいけないということです。

人間の脳が死んだら、では人間として他の部分も死んでしまうのかというと、そうではありません。心臓も動いています。肺も動いています。臓器も動いています。ただ、脳が機能しなくなれば、人間としての機能が果たせないということです。
聖霊界としては、その機能が果たせないということに関しては異論はないのです。ただ、脳死になったから、ではもう魂は存在しないのかというと、そうではありません。魂は存在しているのです。そして魂は何でも見通しを持っています。魂とはそういうものです。
しかし、ここで大切なことは、聖霊界の魂にも、迷いがあるのです。魂自身が悩むのです。
魂は、脳死になった人間の肉体に宿っていながら、悩むのです。そして何とか蘇ってくれないかという願いを魂は持っているのです。そして、脳死というものに関しては、聖霊界で定められた時間というものがあるのです。その時間の間は、魂はじっと復活を願っているのです。これは悲しいことです。何とか肉体が脳死の状態を脱しないだろうかと、魂が願うのです。そういう状態になるには、色々な理由も原因もあると思うのです。しかしそういうことを今述べる問題ではないのです。心の問題、気持ちの問題です。何とか蘇ってくれないかという魂自身の願いでもあり、期待でもあるのです。
そして聖霊界には、それを諦めなければならない時間というものがあるのです。その時こそ本当の死として、魂がその人間の肉体から静かに静かに出て、聖霊界へ旅に出ていく魂の悲しさ、これは我々も考えてあげなければならないことだと思います。

この問題は、法律的なことに関して良いか悪いかということよりも、一番大事なことは、その人の魂の哀れみ、悲しみ、そして果てしない希望、右往左往する魂の叫び、そしてこういう状態になってしまったことに対して、魂が変わってあげられるものならば変わってあげたいと思うような、慟哭の叫びがあるでしょう。そして聖霊界の時間が来たならば、その魂自身が判断をして、その人間の身体から去っていく、その時が本当の死かもしれません。寂しいことです。祈ってあげて下さい。
聖霊界には、人間は脳が死ねば、死んだことと同じだという感覚はありません。魂の世界には、脳が死んだことをそのまま受け入れて、それを死として考えるということはありません。それを判断するのは、その脳死になった人の魂自身が判断するのです。そしてその魂が、慟哭の日々を送るのでしょう。そう考えて下さい。