どういう場合においても、人間は右か左か、どちらへ進もうか迷うことが本当にあるのです。それは、毎日そういうことがあると考えても過言ではないでしょう。
よく考えていただきたいのですが、何も迷わずに生きていくなんていうことは皆さんにはできますか?

そんなことはできっこないのです。常に新しいことにぶつかる時もありますし、振り返って、後ろを見て考えてみなければいけないことだって、いっぱいあるわけです。私の説法で言いますと、毎日のように、ありとあらゆることについて、分野は違えど、感情は違えど、やはり迷うことがあるのです。本当に細かいことを言えば、今日はこれからどうしようか、誰とどこで会おうかというような細かいことでも、迷うわけです。

それから、人間は繊細であるべきだというのが、私の結論です。それは金銭に細かいということではありません。
おっとりしたり、のんびりしたりすることも大変良いことは良いと思いますが、やはり繊細に、細部にわたって綿密に物事を考えていけば、失敗が少ないと私は思います。ですから、毎日の色々なことにおいて、こうしようああしようと考えるときには、綿密に対処しなければいけません。そのためには一人ではなかなか無理なのです。
それをお教えしていこうと私が今考えているのは、私を通して言う「託宣」です。世の中には神と称される人もいますが、この神というものの本当の意味はどういうことにあるかというと、その託宣の中身の問題だと私は思っております。実際にこれから私が、託宣の形をしっかりと皆さんにお教えするにはどうしたら良いか、考えております。私に与えられた託宣を、皆さんに私を通して与えていくということは、私だけができる独壇場のもので、世界に類がありません。

「アドバイス」という言葉では、ただ単に「補助する」というような意味で、非常に軽い言葉ですが、その内容をよく考えて、それを自分に当てはめていくということが大事なことです。託宣を受けるのは皆さんで、何も特別な人ではありません。託宣はある時は非常に外国的であったり、または東洋的であったり、色々な内容があります。そういう色々な内容のある託宣に対しては、色々な選び方があるということが、大変重要なことであると私は考えています。そして、その色々なことを選べるということが大事なことで、それを選ぶのは、あなた自身なのです。
例えば、大安は良き日であるということや、仏滅はなるべく避けるとかいうことは、今広く浸透しています。それにはそれだけの歴史があるわけで、そこにはひとつの理論があると私は思っております。

一度にいっぱい書いても皆さんは迷ってしまうので、少しずつ書いていこうと思ってはいますが、要するに託宣とは遊び事ではなく、神仏的な人と、それを受け取った人が選ぶことであるとお考えになっていただきたいと思います。
人生は一人一人の、あなたのものなのです。それを右か左か決めていくということは、大変な作業だと思います。ただ、好き勝手に決められる問題ではありません。きちんとした摂理の下で、人生の左右を決めていただきたいのです。それだけの価値が、託宣には必ずあるのです。