ブログネタ
ボクシング に参加中!
syaka4今、私どものブログに関して皆さんがどのようなお考えを持っているか、ハッキリしたことは分かりません。
私が持っている予知力に関して、興味を持っていただけることは有り難いと思いますが、その予知力を発揮していきますと、必ず批判を浴び、我々を罵倒される場合がうんと多いのです。
人間の世界は、左があれば右があり、上があれば下があるというように、色々なことが大変難しいです。私のブログでも、地震や災害的なことに関しては、皆さん興味をお持ちであるように感じます。しかし今回、大事なお話として受け止めていただきたいのは、人間というのは本当にいい人がいる、非常に素晴らしい人がいるということです。そしてその人のように生きていくということは、また大変難しいということです。

皆さんはきっとまだお若いと思いますし、ご年配の方はご存じかもしれませんし、ジャンルが違えばご存じないかもしれません。
日本のボクシングの世界がございます。そこに昔、カシアス内藤というリングネームを持った選手がいました。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフのボクサーです。この内藤選手は、今はもうお年ですが、ボクシング界の歴史に十分残っている強い選手でした。しかし、世界チャンピオンにはなれませんでした。それはどうしてか、技術が足りなかったのか、テクニックが足りなかったのか、パワーが無かったのか、彼はそうではなく、別のあるものが足りなかったのです。その足りないものがあったが故に、チャンピオンの地位に這い上がることができなかったのです。

では彼は、世界チャンピオンになれなかったことを悔いているのでしょうか。残念だと思っているのでしょうか。違うのです。彼は世界チャンピオンにもなれなかったことに満足しています。そして彼の心の中は、爽やかなのです。とても一般の人間には理解できない、彼の心が存在していました。
彼は元来、世界チャンピオンになる力を100%、いや120%持っていました。しかしその力を、彼はボクシングの世界で使わなかったのです。また使えなかったのです。どうして使わなかったのか、それは彼の心に原因があったのです。
彼は一歩一歩ボクシングの世界で上を目指して、そして上へ進んでいきました。しかし、彼の心の中には、どうしても乗り越えていくことができない壁があったのです。その壁は、「心」という壁でした。彼が世界チャンピオンになれなかったのは、心の壁があったからです。それは、我々がボクシングの世界とは立場が違っても、持っていなければならないものなのです。
彼はボクシングというゲームをもちろん愛していました。ボクシングはスポーツですが、過激なスポーツです。ボクシングには、相手を打ちのめすこと、残虐に叩きのめすこと、リングに埋めてしまうようなノックアウトする力、その強烈なパンチが必要です。内藤選手はボクシングをスポーツとして頑張ったのですが、最後に相手を叩きのめす、打ちのめす、そのような強烈なパンチを振るうことをしなかったのです。
相手を打ちのめしてチャンピオンになることは十分可能だったのですが、それをすれば、ひょっとしたら時々ある事故のように、ボクサーが死ぬかも知れません。もちろん内藤選手は、スポーツマンらしくリングに上がって、獰猛に勇敢にパンチを打っていきました。しかし、ここぞという時のパンチは打たなかったのです。その時に打てば、相手はマットに沈んでいったでしょう。でも内藤選手は「残虐なことはいけない」という、本当に仏様のような気持ちを心の中に持っていたのです。
アメリカ人のお父さん、無論キリスト教です。日本人のお母さん、無論仏教徒です。2つの教えに挟まれて生まれてきた内藤選手は、世界の頂点に上がっていくチャンピオンになろうという時に、リングの上で人を痛めつける、人をマットに沈めるという残虐なことを、心が優しいだけに、とうとうしなかったのです。だからチャンピオンに「なれなかった」のではないのです。「なろうとしなかった」のです。それだけ優しい心を持った、本当に仏心の男だったのです。
その内藤選手の生活を、またスポーツに対する心を読み取って、内藤選手をモデルにしてひとつの歌ができました。それがアリスの谷村新司さんが作った、あの有名な「チャンピオン」という歌です。

ここまで説明気味に書いてまいりましたが、長くなりましたので、続きは次回に書きたいと思います。