私がこのブログで「サスペンス」という言葉を使ったことによって、ずいぶん大げさな言い方だなと思われる方がいるかも知れませんが、それはそれでそう思われるのは、その人の自由です。人生の中では、本当にサスペンス的なことが時々起こるのです。それがその人にとって嫌なことでなければ、サスペンスもまた楽し、です。

常不軽菩薩私はふと、何千年も昔の人物のことを思い出します。その人物とは、常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)と言います。このブログの中にも画像が出ています。この常不軽菩薩のことを思い出すということについて、今日は皆さんにお書きしましょう。
八尊光倫会の会員であられる、マリ子さんという方がいらっしゃいます。マリ子さんはもう10年近くご縁のある会員さんで、大変美しい方で、考え方も非常に真面目で、しっかりしていらっしゃいます。
そのマリ子さんが、ある日コンビニへ買い物に行ったそうです。必要な物をかごに入れてレジへ向かい、レジでお金を払うときに、そのレジの中にいたコンビニの女性店員さんが、マリ子さんを見て、ふっと瞬間的に合掌をなさったそうです。
マリ子さんは、見ず知らずの女性店員に合掌されて拝まれても、訳がわからず、きょとんとしてしまったそうです。そしてマリ子さんはその店員さんに「どうしたのですか?」と尋ねたら、店員さんが答えました。
「あなたはすごく光っています。あなたは輝いています。あなたはすごく色々な大きな力を持っていらっしゃいますね。だからあなたを拝みました。別にふざけているわけではありません。あなたが輝いているから、その光を拝んだのです」
マリ子さんはそう言われて、コンビニを出たそうです。

この話は、私自身が本人から聞きました。
ここで私が思い出した話は、仏教の歴史の中で、釈迦の前世と言われている常不軽菩薩の話です。
常不軽菩薩は、道で誰に会っても、必ず合掌してその人を拝むのだそうです。拝まれたほうは全然見ず知らずの人に拝まれたら、何となく気味が悪くなりますし、何でそんなことをされるのだろうとびっくりします。そしてある時、ある人が常不軽菩薩に「あなた何をしているんですか。私を何で拝むのですか」と聞いたそうです。常不軽菩薩は答えました。
「失礼いたしました。不愉快な思いをさせましたか。実は人間はすべての人に仏心があるのです。ゆえに尊い人を必ず私は拝むようにしております。みんな仏心を持っています。だからこうして合掌して拝むのです」
要するに常不軽菩薩は、どんな人にも仏心を持って頂きたい、そしてそういう素晴らしい心を人は必ず持っているんだと信じて、人を拝んだのです。
マリ子さんの場合も、レジにいた店員さんがふとマリ子さんを拝んだことは、理論とか理屈とか情景とか、そういう問題ではなく、心の底からふと輝いているマリ子さんを見て、瞬間的に、思わず知らず合掌してしまったのでしょうね。
人間はどこでも、誰かが見ています。そして誰かが感じています。ゆえに、普段の生活でも人間の心は大切なのです。私はマリ子さんのお話を本人から聞いて、合掌してもらえて良かったね、そこには、わざととか作為があったわけでは何もない、その店員さんは瞬間的に思わず知らず、輝いているあなたを見て合掌したのだから、素直に受け止めて、分かってもらえたんだなと思ってもらうことが大事でしょう。これからも常に仏心を持って、正しい考えを持ち歩き続けて下さい。と申し上げたのです。

今日ブログに書いた話は、非常に珍しい現象です。マリ子さんにとっては、その小さなコンビニでの出来事は、ある意味では非常にサスペンス的な感覚だったでしょう。全然知らない方に手を合わせられるということは、良い意味でのサスペンスです。作られたものではないのです。瞬間的な人間の動作です。サスペンス。またここにありですね。
またお会いしましょう。