予言力予知力予測力

昨日の文章の続きを書いていきます。
今日はまず、予知的に、予測的に申し上げます。

今度、千葉沖、それから東京湾沖のほうに、大きな地震が発生しますけれども、これが発生したときには、東京湾に津波が入ります。東京は恐らく7割は壊滅するでしょう。これは大変な問題なのです。東京都では、築地から豊洲へ市場を移すとか言っていますが、そんな場合ではないのです。東京湾に津波が来れば、一瞬にして、恐らく40〜50メートルの波になるでしょう。そういうことを想定するということは非常に難しいかもしれませんが、それは自然を甘く見ているということです。
そしてもう1つ申し上げておきますが、今年の夏は強烈なゲリラ豪雨が発生します。これは去年よりも数がうんと多いのです。その時は、都内のマンホールの蓋はみんな飛んでしまうでしょう。

普段は自然に助けられて生きている人間が、その自然を想定するということは、口幅ったい単なる思い上がりだと思います。要するに自然に対して、人間は無情だったのですね。「無情」を辞書で引くと「慈しむ心がない、思いやりがない」とありますが、その通りだと思います。都合の良いときだけは自然、都合の良いときだけは自分たち、都合の良いときだけは神仏、そんなのは全然受け付けません。
人間は、自然に勝てると思っているほうが間違いなのです。人間は自然に、何一つ勝てません。いくら自然が悪くても人間は結局勝てませんし、逆に自然に育てられているのです。自然があってこそ、人間が生きていられるということです。ですから、この自然というものに人間が立ち向かったって、それはかないません。また立ち向かう必要もないでしょう。
自然にはひとつの「法」があります。その「法」というものは、人間として守っていかなければいけない、従っていかなければならない、人間の生き方の絆なのです。人間は自然に立ち向かうのではなく、自然に守られていて、しょせん人間は自然に勝てないということを自覚しなければならないと思っております。
一般の皆さんの中でも、信心の無い人がたくさん居ますが、自然を甘く見るということは飛んでもないことで、これは神や仏に対する冒涜だと思っております。
仏教には「神」という存在がいないのです。これが神に該当するだろうという話はありますが、神というのは一つのまとまる元なのです。それが仏教にはありません。私はそれに対してきちんと提言をしていきたいと思っております。それは近々そうしたいと思っております。

今回の地震について、石原慎太郎都知事が「天罰だと思う」と言ったそうですが、それは亡くなった方に対してそういう言い方は失礼だろうとは思います。しかし今回のことは、今までのことを全部ゼロにして、一から、本当に一から出直さなければいけないという、天が与えた人間に対する試練だと思います。罰ではないのです。試練です。
しかし、この世に「罰」というものは存在しているのです。
人が不幸になったときに、「ああ罰が当たったんだよ」という言葉を発します。これはある意味では事実です。良いことをしている人たちは平穏無事で、悪いことをすれば天罰が当たるというのは、一つの「法」なのです。ですから、個人的には罰は存在するということだけは頭に置いて下さい。あなたは当たりますか、当たりませんか。
そしてもう1回、日本を立て直すなら、一から、ゼロから線を引かないと駄目なのです。それを全部作り上げていくのに5年掛かろうが10年掛かろうが、それは年数は別なのです。
その間にはもちろん、世界が割れそうになるような戦争が起きてきますから、小さな日本の問題として色々なことをやっている場合ではないと思いますが、それまでに地球がなくなるかもしれませんし、地球で生活ができなくなるかもしれません。人間の生存者の数が10分の1になるか、20分の1になるかもしれません。それが地球というものです。
戦争をしていない年月は、この地球上に存在しないのです。人間は、欲と権力のために戦い続けるのです。そこに人間が掘った穴があり、そこの穴に落ちていくのが人間なのです。