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羅門の独り言 激辛評論

今日は台風が来るようです。
後から後から我々をいじめるような自然界の動きですが、本当に辛いですね。
ただ、ここで私も辛いことがあります。
宗教家というものは、ひとつの目標を持っています。こうあると良い、こうでなければいけないという、そういう心の中に真理を持っています。
私としましても、ボランティア的なことで、何千人ぐらいの皆さんとご一緒に被災地へ行って、物質的にご支援を申し上げたり、瓦礫の整理から何から参加しなければいけないというのは、理論でわかっております。
しかし、人間一人一人には、しなければいけないことと、難しいことと、できないことと、下手なことがあります。
それで私ができることとして、皆さんにお願いしていますのが、御供養尊像のダウンロードです。

私のような立場におりますと、この災害というものを見ますと、実際に悲惨です。それは確かに神仏の世界では、何かの戒めがあったと思っておりますし、あって不思議ではないと思っております。
私がお願いしていますのは、携帯電話で尊像をダウンロードして、携帯電話にそれを保存して、誰もいないところでも良いですから、それをパッと開いてちょっとその尊像を見ながら、亡くなった方の無念に対して、「大変だったですね、御供養申し上げます」という気持ちを伝えて、「私たちもそう思っていますけれども、仏様も供養してあげて下さいね」という、たったそれだけの、2〜3秒のことを口にする、また心で思うだけのことなのです。
それで私は、その供養のための釈迦像をダウンロードして持って下さいとお願いしましたが、今日ついに最悪のことが起きました。
それを始めてから今まで、御供養尊像をダウンロードしていただいた人は、474名でございます。
ところが昨日、ダウンロードした人の数がゼロ人になりました。一人もいらっしゃいませんでした。
本当に悲しいです。
世の中で「世界平和を願っています」なんて、よく言えますよ。世界平和を願っている人間が、1秒か2秒で供養の言葉を言えて、「大変だったね、成仏して下さい」というような、心から滲み出る愛とかそういう思いはないのでしょうか。それなのに世界平和ですか。もうそんな世界平和なんか、有りっこありません。辛口なことを言いますと、人間がこれだけ毒されて汚くなって、嫌らしくなって、ずるくなって、みっともなくなってきたら、世界平和なんかない方が良いです。怒りが出てきます。
今の世の中、お金のかかることは何でも飛んでもない、嫌だと言われることになっているのです。
例えば友達同士で、「いいお洋服ね、このワンピース良いわね」と話し合います。昔は「これどこで見つけたの」とか「どこで買ったの」とか、そういう質問をしたものですが、今は違います。どこで買おうと何であろうと関係ないのです。「ねえねえこれいくら?」まずお金です。そういう世の中です。
そういう人間がみんな集まっていて、世界平和なんて、私に言わせれば嘘っぽくて、おかしいです。

世間にはいっぱい宗教がありますから、それはその人たちがそれぞれで御供養をしてあれば、何も私のところでする必要はないと思われるかもしれません。それは確かにそうかもしれません。でも、それとこれとは別として、供養し過ぎるということは無いと思うのです。
それなのに、この痛ましい災害を見て、お可愛そうと思って下さった人は、この大勢の人がいる日本に、474人です。
今、日本全国でインターネットに繋げられる携帯電話を契約している人は、およそ9780万人いるそうです。そうすると、それだけの数の人が、「御供養しましょう」「おかわいそう」にという気持ちを持ったら、この尊像をダウンロードをすることはできるのです。ところが、それをして下さっている人は、全国で20万6千人のうちに1人しかいないのです。ちょうど東京の文京区や渋谷区、港区、荒川区がそれぞれ、人口が20万5千人ずつぐらいいるようです。どの区も大きな街です。人もいっぱいいます。そうすると、その文京区と渋谷区と港区と荒川区にそれぞれ、たった1人ずつしか供養してくれる人がいないということです。

あまりガンガン書きますと、激辛が単なる愚痴になってしまいます。愚痴を言うと人は笑うのです。それでは、辛口は何もならないということです。でも、私の考えは間違っているでしょうか。
私はこれは社会現象の結果ですから、そういうものだとは素直に受け止めますけれども、人間ってむなしいですね。
これは恐らく私が何回こうして激辛に書こうとも、供養して下さいと叫ぼうとも、それは絶対に不可能だと腹をくくるしかありません。ただその腹をくくって諦めるのは良いのです。仕方がありませんから。それが国民の意思ですから。でもその後、今度は裏返しをすれば、天界、聖霊界、神仏の世界は怖いですよ。供養してあげるという優しい気持ちが無くなった国民に対してどう見るか、これは私は怖いことだと思います。