羅門の独り言 激辛評論

このブログに関して、私の考えとは非常に違う結果が出てきております。
例えば地震の問題でも、自分たちの生活のそばに、あれだけの大きな地震が発生すれば、その時にはやはり皆さんが気になると思います。そして被害の大きさに驚いたり、恐怖を感じたり、そこに津波も入りますと、これは膨大な恐怖だと私は思います。
しかし、人間は悲しい生き物なのです。
再三再四、私が書いてきました言葉に、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということがあります。その時だけは地震を心配しますし、津波も心配します。しかし少し日にちが経ちますと、だんだんとその地震の恐怖や、津波の恐怖が、どんどん薄れていってしまうのです。そして、「もう来ないだろう」とか、「いつかは来るだろうけど、当分はもう心配ないだろう」と考えるのです。そういう事で、もう私のブログを読む人の数が、多い時の7分の1ぐらいになりました。ずいぶん減りました。それは自由ですからいいのです。
ただその時に、私は日本人として、やはりこれはまずいな、本当にこれはいけないなと思うことがあります。

地震は防ぎようがないのです。それから津波だって押し返すことはできません。とにかく人間は無力なのです。でも、その無力に関して、月日が過ぎていけばだんだん注意をすることが無くなり、気持ちが薄れていくのです。本当に人間というのは、何か事があっても、そこを通り過ぎてしまえば、有耶無耶になってしまうことがものすごく多いのです。その月日が経てば有耶無耶になって、何とも感じなくなるという人間の本質は、決して良いことではありません。
地震が来たときだけは大騒ぎをして、余震が来てまた大騒ぎして、そして余震の数が少しずつ減り、そしてマグニチュードも少しずつ落ち着いてくると、もう妙に安心してしまうのです。それについて私が申し上げたいことは、そこに大変恐ろしい落とし穴があるということです。
と言いますのは、予知予言予測で私がハッキリ申し上げますと、日本の地面の中で溜まっているエネルギーが、どうしようか、このへんでもう揺すろうか、このへんで揺れようか、このへんで大きな地震にエネルギーを変えようか、なんていうことを考えている状態なのです。私はここで予測というか予言というか、予知と言いますか、聖霊界の話として私がハッキリ言えることは、この地震はこれから来ると、これをハッキリ申し上げたいのです。これから来ます。しかし、この地震を人間が止めることはできません。そして、もしその地震が来た場合は、津波も想定しなければいけないでしょう。その津波も止めることはできません。人間はただひたすら逃げるだけなのです。しかし、逃げられない人もいるのです。それはお年寄りです。そして子供です。
地震という災害は、ここで止まって無くなったわけではないのです。いつどこへ来ても、出る言葉は「やっぱり来たか」そういう言葉で表現をすると思います。それでは済まされない事態が、日本の国土内に起きるということです。
そして、これはこのような予知に関する、気象庁ないし地震学会か何かあるのでしょうけれども、そういうところで日本人を守るために一生懸命研究するということが、今は行われていないのです。日本全国でほんの数千万の予算しかないのです。それは政府が出さないのです。ですからそういう面から考えても、日本人は一体何を考えているのか、どうして万全の手を打たないのか、「備えあれば憂い無し」ということをなぜしないのか、私にはわかりません。

このブログを読む人たちがどんどん減っています。それは別に構いません。選挙で投票してくださいと言っているような話と違いますし、皆さんが誰一人いなくなっても、それは仕方のないことです。今日私が言いたいことは、私が逆に心配するばかりで、皆さんが地震に対して甘いのではないかということを言いたいのです。ですから、ブログを読まれる方々の数が減っても、それが問題ではありません。そうではなくて、関心が無くなっていくということが、大きな問題なのです。なぜならば、必ず大きな地震が来ます。あえて私は、日にち的なことは言わないのです。ですから注意深く緊張して、地震というものが自分にとってどれだけ大変なことかということを、味わうべきだと思います。必ず来ます。
羅門