羅門の独り言 激辛評論

九州のほうで、13歳の少女に「霊がついている」と言って、その除霊をするということで、お寺で僧侶とその少女の父親とが、畳1畳ぐらいの広さの、コンクリートで囲まれて屋根から水を落としてくるような粗末なところで体に滝打ちをさせて、少女が亡くなるという事件が起きました

私は、こういう馬鹿げた宗教行事というのは全然認めておりません。と同時に、まったく認めません。こんなことは有り得ないことなのです。

ただ、例えば滝の下で白衣を着て、手を合わせて身を清めることで、自分の持っている煩悩や邪念を洗い流すというような、ちょっとした所作はあります。これは何かお祭り事のように考えて結構でしょう。しかし、それによって除霊をするということは、有り得ないと思っております。滝で除霊ができるわけがないのです。
この除霊というのは、そういう霊魂が全く無いとは言いませんが、何か別のものの考え方が自分の心の中にしみ込んできている時や、ある一種の鬱的な状態とか、ある一種の霊的作用による感覚が体の中に残っているときに、人様から見ると「何か霊がついている」なんていう、おぞましいドロドロした表現で言われます。結局は表現の違いですから、「霊がついている」なんて非常に簡単に言いますが、本当はそういうものではなく、もっとさっぱりしたものであって、そしてもっともっと深刻なものなのです。
ここに悪い例を書きます。悪い例ですから誤解しないで聞いてください。
例えば、あるおばあちゃんが寝たきりになりました。そして、おばあちゃんの兄弟なり子供達が、そのおばあちゃんの面倒をしっかり見ないで、介護もせずに、病院のことに関してもあまり力を入れませんでした。そしてだんだんおばあちゃんが衰弱していくのを見ていても、特に何とも感じませんでした。そしておばあちゃんは、悲しくもこの世を去りました。
その時に、この兄弟や子供達が、おばあちゃんにいかに冷たい仕打ちをしたかということは、必ず本人も周りもわかります。そういう時にそこには、「可愛そうな死に方をしたね」「家族が悪いね」「みじめだね」「あれは恨まれるよ」「亡くなったおばあちゃんの恨みの霊があるよ」というような人間の感覚があって、亡くなったおばあちゃんは、あまりにも悲しく、あまりにも切ないでしょう。そして、その中にやはり怨霊というものは残ってしまうでしょう。それは周りから生きている人間から見て、決してそのおばあちゃんが温かく見守られたということがなければ、おばあちゃんの恨みの霊が乗り移るよということは、これは完全にあるでしょう。
しかし科学的な根拠はありません。私が話をしている中に、科学的な根拠は入れておりません。なぜかと言いますと、私の世界は精神の世界、心の世界だからです。

ここでハッキリと書きますが、例えば大きな宗教家がその除霊をする時には、それはその人の心に語りかけるということであって、滝に打たれたら除霊できるのだったら、大きな洪水に流されたら除霊になってしまいます。そんなくだらない話は絶対に世の中に持ち込むべきではありません。それから、荒行・難行といって、御経典を持ってお堂の周りを一晩中歩いて回るとか、断食をするとか、そういうことで過去からあるわだかまりの霊というものを想定して、そういうものが取れる、除霊できると考えることは、全く嘘です。
世の中には仏教なり神道なりがあるでしょうけれども、除霊というものは心と心で話し合うものです。そして話し合うときに、その人の精神状態と、その霊が取り憑いている「ような」(実際は取り憑いていませんから)人に、鬱的な問題の恐怖からそういう気持ちを取ってあげる、そしてひとつの方法を教えていくということが大事なのだと思います。映画の「エクソシスト」のような除霊なんていうものは、キリスト教の世界です。仏教の世界で滝に打たれて除霊するということは、私はあまりにも有り得ないと思っております。
どうかそういうことはしっかり頭に入れて、勘違いを一切しないようになさって下さい。そういう勘違いをするところに事件が起きますし、間違いが起きるのです。
確かに、除霊という儀式はあります。でもそれは、心と心が話し合うだけのことです。そしてやはりきちんとした宗教家でないと、その相手の心を読んであげることはできませんし、慰めてあげることもできません。これは除霊なんていう重苦しい言葉ではなく、学校の教育者が子供に諭すように、心の慰めをしてあげる、心を癒してあげる、心の中の道を教えてあげるということが一番大事であります。
そして加羅羅(水子)の問題も、大きな問題があります。これについては必ず特集をしたいと思っております。

誤解はいけません。そして今の世の中、どこまで行っても科学的な根拠が無いと世間は認めませんが、ある意味では心の中にも、科学的な根拠は存在しないのです。これは科学と心とは別問題だからです。よくそのあたりをご承知いただきたいと思います。
正しいことは正しい、正しくないことは正しくない、科学的でない、科学的である、そのきちんとした線を引くべきであります。