羅門の独り言 激辛評論

談志師匠がこの世を去りました。
何か昔から聞き慣れた、談志師匠の落語の特徴や、江戸っ子の粋な話し方が、懐かしい限りです。
談志師匠は本音しか言わない人ですが、間違ったことはそんなに言わない人です。最も、そういうことをギャグで言う場合はあるのでしょうけれども、根は大変真面目な落語家だったと思います。
私はその談志師匠が遺された言葉の中で、感心していると言いますか、その通りだと言えるような言葉が1つあります。

それは、「人間なんて偉い奴なんか一人もいやしない、みんな人間なんてちゃらんぽらんなんだ」そう談志師匠は言いました。私は全く同感です。みんなちゃらんぽらんだというのも、私もそのように思います。そして私はこの言葉に、談志師匠のすべてがあると思います。
人間はいい加減なのです。そして、ちゃらんぽらんに生きていくということも、別に悪いことではないわけです。むしろ、肩にえもん掛けが入っているかのような、力の入った歩き方をしない、そういう人間でありたいと思うのです。ですから、ちゃらんぽらんで結構です。
自分自身がちゃらんぽらんなのですから、それによって人様に迷惑を掛けることだって、いっぱいあると思います。でも直さないのですから、仕方がないと思いますよ。特に日本人はそうです。
例えば日本は今、1億3千万人ぐらいの人口ですが、その中に生まれて死ぬまでの間に嘘をつかなかった人が1人でもいるでしょうか。みんな嘘つきです。人によっては毎日嘘をついていますよ。やはり、そういう生活をしているということは、ちゃらんぽらんな生活をしているということです。
私だって、昔はよく嘘をつきました。例えば、友達とどこかへ行くという話があった時に、そこへ行ったことがないのに「この間行ってきたからそこへは行きたくない」とか、そういう嘘を平気で言っていました。それは渡世術の場合もあるのですが、嘘といえば嘘ですよね。ですから、やはりそういう点で、1億3千万人全部嘘つきだというのは、私は当たり前だと思います。
そして、ちゃらんぽらんな人生でもいいのですが、神仏に関してだけは、ちゃらんぽらんであってはいけません。そして神仏に対してだけは、自分の心を正直に出していかなければ、神仏に受け付けてもらえません。そして人間は何をするのでも、誰のせいであっても、自分のせいであっても、神仏が結論を出してくれるというのが人間の世界の常識なのです。
都合の良いときだけ神仏、関係がないと知らぬ顔というのは、要するにちゃらんぽらんなのです。
愛し合っていた男女が、みんなに祝福されて結婚をします。おめでとう、おめでとう、と花束が飛び交います。でも、1週間か2週間後には、その結婚を後悔するような流れが自分の中に出てくるということがあります。こういうことは、結婚に関してもちゃらんぽらんなのです。
私は、この「ちゃらんぽらん」という談志師匠の言った言葉を、そのまま私が引き継いでいきます。私も江戸っ子ですし、談志師匠も江戸っ子です。ですから私がちゃらんぽらんを引き継いでいこうと、そのように思っております。
これからブログに「ちゃらんぽらん」が出てくると思いますが、それは現代の人間に対する表現として、一番正しい言葉なのです。みんなちゃらんぽらんなのです。
しかし、そうであってもいいから、信仰だけはきちんと持ちなさい。私はそれを必ず言っておきます。都合の良いときだけ信仰をして、関係なくなると信仰をぷつんと切って、もう知らぬ顔をする、これは信仰に対するちゃらんぽらんです。そんな人間に幸せなど来るはずがありません。また来てはいけません。
神仏というものを大事に尊んで、真摯に受け止めていかないといけないということに気付かなければ、所詮あなたはちゃらんぽらんなのです。
これが今日の激辛評論です。