今日、皆さんにお話を申し上げていくことは、お彼岸の感謝供養行が始まるということです。

会員の皆さんがお申し込みになった数々の御尊霊に対して、御供養申し上げる日が続きます。御彼岸の中日は20日でございますが、儀式の関係で、24日までこの感謝供養行を続けてまいります。皆さんがそれぞれに、お亡くなりになった方に対して感謝をすると同時に、ご縁があったことをまた感謝して、そして御尊霊に対して御供養申し上げることは、本当に素晴らしいことだと思います。

この24日には、多数の会員さんが御来山なさる予定です。遠くは大阪から、長野から、埼玉から、千葉から、たくさんの方々が御来山なさいます。皆さんが本堂に集まりまして、私が大事な法話をいたします。それは法話と言うよりも、皆さんにお教えする内容を色々細かく、聖霊界のことから、日常のことから、お話を申し上げます。これはやはりひとつの大事な人間の生き方でしょうね。それを法話としてお話を申し上げます。
それから、御来山なさって、私とご相談、御霊示を受けられる方がたくさんいらっしゃいます。おそらく、何時間にもわたることでございましょう。本来なら仕事で来られないところを、無理をしてスケジュールを変更して、遠くから、わざわざこの日を大切に考えて御来山なさる方もいらっしゃいます。縁籍会員も、インターネット会員も、皆一丸となって、本堂で感謝供養を行いたいと思います。
私はよく、この感謝供養という言葉を申し上げますが、人間というのは、当たり前のことができない性格を持っています。これはやはり仏教の教えの中でも、また仏教に限らず色々な御宗教の中でも、「人間は当たり前のことができない」という、人間に対する考え方がございます。これに対して私は、非常に怒りを感じます。「忿(ふん)」と言います。羅門著書行本「浄心真信修行法」という、大変大きな行本がございます。この中の「煩悩」というところの中に、この「忿」という言葉が入っています。そのように、私も少しは怒る時があるわけです。
それは、人間って当たり前のことが全然できないからです。喜ばなければいけない時に、喜ばない、なぜか喜びの感情を表面に出さない、要するに一般的に言うと「白けている」という言葉が良くありますけれども、感情を表さない人が非常に多いです。こちらからも感情を出さないでお付き合いをすれば、本当に白々しいお付き合いになってしまいますし、それだけの人間関係になってしまいます。こちらがその人のためを思って、人事を尽くしているのに、全然それを感じない人というのは、意外にいるものです。特に女性に多いですね。それはその人の性格なのでしょうから、そういう場合には、もう教えるよりも諦めるしかないと思います。人間というのは感情の生き物ですから、やはり泣いたり、怒ったり、喜んだり、そういう表現があって生きていくものなのですけれども、特に女性は表現をしない人が多いです。それはやはり、その人にとって人生損だと思います。本当に損です。もったいないことです。しかし、礼節的に言うと、この感情表現をしないということは、私は良くないことだと思います。
やはり心は大らかに、「ありがとう」という言葉を常に言えるような人間にならなければいけないと思います。感謝供養もそうです。感謝供養も「ありがとう」なのです。心の中の感謝という気持ちを表面に出して、御供養ということに関して、真剣に向かい合っていかなければいけないと思います。
それから、感謝がしっかりできるように、表現ができるような人間にならなければ駄目です。些細なこと、小っちゃなこと、細かいこと、これが逆に人間の人生の決め手になるわけです。どうかそのあたりを、よくご理解いただきたいと思っています。
御供養を申し込まれた皆さん、尊霊に代わり、心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
それでは、ただ今より24日まで、感謝供養行に入らせていただきます。
羅門