久保田師範長
御聖祖様、このブログの中ではご無沙汰しております。御聖祖様もご多忙ですので、なかなか私のほうからは色々とお願いを申し上げにくいのですが、今日はお尋ねしたいことがございます。
私たち縁籍会員は、今年のお正月の年頭祈願をお願い申し上げました時に、今年一年間がこういう月であるという指針を、御聖祖様から御霊示頂きました。
その中に「因縁因動」という欄がございました。これは聖霊界、または仏教の摂理論の中の言葉だと思いますが、これは私どもにとって、どのように捉えたらいいのか、どのように解釈したらいいのか、それを是非教えていただきたいと思います。

御聖祖
因縁因動、これは書いて字のごとく、因縁が動くということでございますが、まず因縁ということからお話をしていきます。
人間というものは、その人の過去世でも現世でも、決して人生の中で褒められたことばかりをしているとは限らないのです。細かく言えば、人から指摘されてもわからない人もいますし、自分自身のことを自分でわからない人もいっぱいいるわけです。
教義教論の中で考えましても、人間は知らぬ間に、小さくても大きくても因縁を作るものなのです。
これは難しい言葉になりますが、では因縁とは何かと言いますと、仏教では「一切有為法(いっさいういほう)」が因縁であると言われています。それから仏教では、あらゆる原因を四種類に分類した「四縁(しえん)」という言葉があります。この四縁というのは、因縁・等無間縁(とうむけんねん)・所縁縁(しょえんねん)・増上縁(ぞうじょうえん)とあります。このように四つの縁が重なってきて、因縁に絡んでくるということなのです。このように仏教の深い深いところでは、色々と解釈されております。
これは今、一般の皆さん方がご理解なさることは、非常に難しい問題だと思います。ただ、それを簡単に易しく解説をしますと、普段、人間は色々な行動の中で因縁を作っているわけです。因縁を作る原因は、煩悩です。その煩悩が四六時中、自分の頭の中や心の中に発生していることに関しては、否めないわけです。「無になる」という言葉をよく言われますが、なかなか無にはなれません。欲が出ます。色々な望みも出てきます。ただ、その人間の生活の中で考えなければいけないことは、ご先祖とか両親とか、それから兄弟とか、そういう血縁がらみの、またはひとつの親戚の縁とか、そういう人間関係の触れ合いによって生じる摩擦、考え、行動、そういうものが、知らぬ間に因縁として積み重ねられていくということは事実です。それからもう少し血縁から離れまして、今度はお友達の縁ですね、友達、ボーイフレンド、ガールフレンドというところまで行っても、やはりそういう人間関係の摩擦、考えの違い、そういうことが蓄積されてきますと、それは同じように、一つの因縁として考えたらいいでしょう。その自分で作ってしまった因縁が積み重なっていって、集合体になってきますと、「行」でこの因縁を切っていくということが、絶対に大事なことです。ただ、この因縁を切るということに関しましては、私もあからさまには言わないのです。

久保田師範長
御聖祖様、私にはどういう因縁がある、こういう因縁があるということは、教えていただくことはないのですか?

御聖祖
言いますよ。それは言いますけれども、その人の心に傷を付けるような、その人の因縁をほじくり返すような言い方は、私は一切しません。それはその人が気づいていようと気づいていまいと、知っていようと知っていまいと、私の立場から、その人の精神を、また心を、考えを傷つけるような言い方は一切しません。しかし、それが伺えるような言い方は、教えとして教えることはございます。
人間は誰でも、多少なりとも、そういうものは持っていると思いますが、無いに越したことはありません。ですから、やはり霊格を高く、綺麗に生きていくのが、私は最良の方法だと思いますよ。

久保田師範長
因縁因動というのは、一年間の中に必ず出てくる問題なのでしょうか。

御聖祖
それは全くない年もあります。そういう方も大勢いらっしゃいます。ただ、来年は何月に出てくるというようなマイナス思考の予測は、おやめになった方が良いと思います。
やはり、人間の体というのは、細胞も心もすべて動いているわけです。そして環境によって変化します。考えも変化します。そして、人と人と会ったがゆえに、その人との縁というものが生じてきます。その縁が良ければ、それは良い縁ですし、その縁が悪ければ、これは悪い縁として考えなければいけません。その悪い縁というもの自体が、摩擦を起こして、形が変わっていくということだってございます。どうかそのあたりを、良く理解していただきたいと思います。また理解しなければいけません。
この因縁というものを綺麗にしてもらう、今これはここをこういう風になっていますよ、これはちゃんと削除しましょう、綺麗にしましょうという、一年に一回ぐらいのお掃除は、しなければいけません。心のお掃除です。因縁のお掃除です。そして、それを除去していくということが必要でしょう。
人間って、毎日毎日欲望で生きていますから、それは因縁が出てきますよ。この問題も、私は本当は隅から隅までお教えしたいのですけれども、人様ががっかりするようなマイナス的な話は、私はたとえその人のためといえども、あまり話さないことがございます。

久保田師範長
御聖祖様、それはある意味では怖いですね。

御聖祖
いやいや、怖いという表現はおかしいのです。なぜ怖いのですか。怖いという表現がおかしいのです。私が言わなくても、それを本人が気づいている場合もあるのです。それを知らない振りをする場合もあるのです。ですからそのあたりが、やはり現世に生きている同士なのです。ですから、理解しないわけではないのですが、やはり自分を綺麗にしていくということが大事でしょうね。
年内に出てくる因縁因動のところだけは、自分の因縁を綺麗にしておかないと、積み重ねていってしまいますからね。ですからそういう意味では怖いかもしれませんね。いけないかもしれませんね。因縁因動を積み重ねていくということは、やはり怖いというより、いけないことなのでしょうね。

久保田師範長
例えば、十月なら十月に因縁因動という月がございましたら、どのようにその月を意識したらいいのでしょうか。

御聖祖
そうですね。十月の因縁因動と言われたら、九月の半ばから、十月、そして十一月の半ばまで、本当に自分を反省して、因縁が動かないように、その時こそ綺麗にしてもらって、自分も掃除しなければ駄目ですね。
変な表現ですが、洋服ダンスだとか、机の下だとか、色々なところの掃除が行き届かないと、目に見えないホコリがたくさん詰まっていますね。それとよく似ていますよ。人間、毎日毎日生活していますと、心や体の中に、その因縁がホコリのように、いっぱい詰まってくるのです。溜まってくるのです。その瞬間は気づかないのです。しかしそれが積み重なってくると、決して良い結果は出てこないというのが、私の考えです。ですから一度それを綺麗に洗っていただいて、掃除して頂いて、叱って頂いて、駄目ですよと言われて、観音様や羅門観音、涅槃釈迦像に叱られる、注意される、そういうことが大事でしょうね。超霊力というものは、隅から隅まで綺麗にしていこう、ここは直していこうということにも、大いに力を発揮するものです。

久保田師範長
ありがとうございました。それではまた、ご質問することがありましたら、御聖祖様に教えて頂きたいと思います。因縁因動というのは、やはり毎年注意しなければいけませんし、それが出てきたときには、それを綺麗に掃除していかなければならない、そして人によってはその中身が違うということですね。

御聖祖
そうなのです。因縁因動と言っても、みんなが同じではありません。一人一人違います。生活も違いますし、男女も違いますし、それはその人の特徴的なものです。その人が持っている因縁というものは、その人の特徴ですから、その人が持っている独特のものです。ですから、人がこうだから自分もそうだというものでは、絶対にありません。一人一人の違いは、膨大なものです。
それではまたお教えしましょうね。