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今日は、大変悲しいお話をしたいと思います。

私は小学生の頃から、家で犬を飼うことを始めました。そして、この今も犬を飼っております。
この犬を飼うということは、家族が増えるということです。また、年配になりますと、犬も自分の子供のように感じるものです。みんな各犬に個性があり、とにかく可愛くて、大変楽しく、家庭を和ませてくれます。
しかし、ここで一番悲しいことは、犬の死でございます。
犬種によって時期は様々ですが、犬にも必ず死が訪れます。その時の悲しさたるものは、絶対に他の人にわかるものではございません。でも、この寂しさは、いかに人間と犬の間に愛情が育まれた生活があったかということです。それは愛猫家も同じでございましょう。
ですから、この犬ということに関しては、人間の家族の中に入っている、もう人間と同じなのです。子供と同じなのです。
その犬がこの世を去りますと、この悲しみというものは計り知れるものではありません。
そこで、犬が亡くなりますと、埋葬してお墓を作ったり、お墓の中に納骨をしたり、ということを今まで習慣的にしていらっしゃる方もいると思います。
しかし私は、聖霊界の摂理論、仏教の摂理論からいきますと、犬の納骨は、家庭内納骨として納めるべきだと、確信を持っています。
犬の写真と、納骨する御聖壇と、そういうものが必ず用意できますし、そこに犬を護ってくださる小さな仏像に、精を入れて、そして御聖壇に、犬のお骨と一緒に御安置することが、私は犬に対する思いやりであり、礼儀であると思っております。そして、この家庭内納骨された、小っちゃな小っちゃな御聖壇は、家族が一人一人、死ぬまで守っていけばいいのです。そして、もし父母に寂しいことが起きたら、今度は子供がそれを引き継いで、犬を守っていくということが大事だと思います。
犬は人間の心が良くわかります。猫もそうです。ですから、犬や猫は非常に人間と密着している生き物ですから、人間と同じように扱ってあげる、思ってあげる、愛してあげることが、何よりも大切なことだと私は思っております。
小さな御聖壇の中に、毎日お水を差し上げ、そして、1枚か2枚のビスケットを少し、食べ物として供えておいて、犬にも「おはよう」「行ってきます」「ただいま」そういう会話を、生きているときと同じように、家庭内納骨した御聖壇に声を掛けて、ちょっと手を合わせていく、それは家族の継続の意味です。
是非そのようになさることを、心よりお勧め申し上げます。もっときちんとした言葉で言いますと、そうするべきです。
可愛くて、いつも頭を撫で、体に触れ、○○ちゃん、○○ちゃんと名前を呼び、朝から昼も夜も、お互いに顔を見合わせてきた、人間と犬は、離れてはいけません。犬を共同墓地に納骨するとか、そういう寂しいことはやめましょう。さっきまで家庭の中で一緒にいたのですから、それをどこか遠くに納骨をしなければいけないという定義は、ひとつもございません。お家へ静かに納骨されて、棚に、御聖壇に、またはどこかにきちんと置いて、皆さんの目に触れることが、家族として当たり前のことではないでしょうか。
どうかそのように、しっかり考えていただきたいし、実行していただきたいと思っております。

(写真:吉野家の参考写真)
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