今月も、今日で終わりです。あと2ヶ月で新年を迎えることになります。
人間は本来、心の中で祈るとか、願うとか、そういう感覚を、宗教的な問題を別にしても根本に持っております。
その祈りということに関して考えてみますと、我々は常に、一日の中で一度や二度は祈りをするのです。「ああ、こうあったらいいな」とか、「こうすべきだな」とか、そういう願いのような感覚が祈りとして現れる場合が、非常にあるのです。その祈りというものは、人間には自然に備わっている感覚なのでしょう。そして、祈りほど強いものはないのです。
今日はこの祈りのことについてお話をしていきます。

例えば、「祈るような気持ちだ」という言葉がありますが、その祈るような気持ちというのは、真剣に本当に、そのことに集中しているという意味でもあるわけです。
祈るということには、宗教的な意味合いがあるとお感じになる方もいっぱいいらっしゃると思います。例えば、社寺仏閣の神殿や本堂に向かって、合掌して祈る、これはごく自然な光景です。そして、誰しもがそのような光景を見たことがありますし、そうしたことがあります。
皆さんも日常生活の中で、どれだけ他人に頼られたり、または他人に信頼されたりして、自分がどれだけ役に立っているかというようなことを色々考える時があると思います。祈るというのは、神仏に対して、または何か自分が崇拝するものに対して、どうか私の考えをわかって下さい、聞き届けて下さい、そのような(依存心とは違いますが)頼る気持ちを持っています。
そして、これはこうした方がいいなとか、こうなって欲しいなという祈りが、時々心の中、または所作でも出てくる場合があります。
私は、皆さんそれぞれの「行」を行っていますが、この「行」というのは要するに、病なら病を、良い方向に祈り願う、そしてご本人の状態を少しでも向上させるものです。この祈りの行は、その人にとって素晴らしいものであり、必ず良い方向に向かっていく効果があると考えて、私はその「行」をしなければならないと考えております。
そして、科学的な問題ではなく、医学的な問題でもないのですが、心と精神、そして力というものは、「行」を頼み願う人と、「行」を行う人との間で、お互いに通じ合って、その「行」の厳しさを通して伝わっていくものです。私も「行」の中で祈っています。
そして、その「行」をして頂いている人たちも、一度ご自分の祈る姿をご覧になると良いと思います。
これは洗面所でも、自分のお部屋でも良いのですが、明るくて大きな鏡のある場所で、立っていても座っていても良いのです。一般的な所作として「祈る形」は合掌です。ですからその場所で、自分の顔の前で合掌をして、鏡に映っている自分を見る必要があるのです。そして第三者的に、鏡の中の自分を見てみます。そうしますと、鏡には自分が祈っている姿が映っていますから、それを見ます。すると不思議なもので、その自分が祈っている姿の中に、非常に不自然なものがあったり、不自然な雰囲気があったり、不自然な精神が見えたり、そのような色々な変化を鏡が見せてくれます。その鏡の中にいる自分が、何も飾らない、本来の姿なのです。
そして、人間の顔というものは、表現をしてくれます。よく、顔色を見るとか、人相を見るとか、そのように人の顔のことについて話をしますが、それが一番良くわかっているのは、自分なのです。自分が祈っている姿を、自分で目を開けて垣間見ることが、一番大事なのです。その時、己はどういう気持ちで祈っているか、どういう気持ちが心の中にあるのか、そういうことを自分自身で再確認できるのが、鏡に映った自分です。そして自分が祈る姿です。これは皆さん是非実行していただきたいと思います。
この願い、祈り、病、そういう中で、何パーセントという言葉を使って表すことは難しいのですが、自分の持っている考えや、自分の目や、そういったことで、自分を祈っている姿を知ることができます。これはぜひ、毎日でも実行してみて下さい。自分の祈る姿を鏡に映してみる、これで自分のことが良くわかります。どうか実行してみてはいかがでしょうか。
祈るということは、どのぐらい素晴らしいことかを知って下さい。そして常に、人間の心の表れが、合掌して祈るという姿に映ってきます。是非そのように自分の祈る姿を見てはいかがでしょうか。
人が人を祈る、自分が自分を祈る、そして親を祈る、兄弟姉妹を祈る、友達のことを祈る、そういう第三者に対しても祈る気持ち、これは大変意義のある、大きな救いになると思います。是非そのように鏡を毎日見て下さい。これは私からのお願いでもあるわけです。祈りというものは、目に見えるものです。どうか是非そうしてみて下さい。

羅門